幼子誕生

遠藤 政樹

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 カトリック教会は12月25日の御降誕の喜びの日を迎える前に、待降節という祈りの期間に入ります。

 私はこの期間がとても好きです。どこの教会へ行っても御降誕を迎える祈りの集会があり、待降節の聖歌が流れる中、主の御降誕を迎える準備の姿が目にとまります。

 聖歌隊の指揮をする私は、各教会を訪れた時、オルガニストと聖歌隊の練習ハーモニーを一人静かに聞きながら、祭壇の前で祈る事にしています。とてもすてきな祈りの時です。

 世界3大宗教である、仏教・イスラム教・キリスト教の中の、カトリック信者となって50年になる私は、最近やっと聖書の祈りの大切さを少し理解できるようになりました。そして、聖歌隊の指揮にも、より熱が入る様になりました。

 大学生の合唱団で、サミュエル・ルソー作曲の「オディエクリストゥス ナートゥスエスト」(今日、キリストが生まれた)を指揮した時、来場された方から「すごくすてきな演奏で、重かった心が軽くなり、清められました。教会にはこんなすてきな祈りの曲があるのですね」と、お礼を言っていただきました。その時、私の心も清められ、演奏した時はもちろんのこと、その言葉を聞いた時と、2度も心を動かされたのです。

 世界では子どもの誕生を喜び、大切に育てようと思っても、戦争や貧困などで出来ない多くの国々があります。また、豊かで便利に見える国でも、人々との交流が少ない社会の中での子育ての難しさ。

 しかし、どこで生まれ、どこで育っても私たちは全員「神の子」です。

 いくら祈っても平和が来ないと思うのではなく、時代の変化の中にあっても、常に聖書を繙き、心の平安を求めて祈り続けたいと思います。

幼子誕生

湯川 千恵子

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 医師に懐妊を告げられて、私はすぐ公衆電話から職場の夫に報告した。病弱で結婚しても子どもが持てる自信がなかったので、うれしさの余り一刻も早く知らせたかったのだ。

 その後、悪阻で苦しんだが、赤ちゃんの胎動をなでさすりながら、産着やおむつを準備した。月満ちて陣痛が始まり入院したが、陣通微弱で病院の階段を歩かされたりした。そんな訳で、再度陣痛が始まった時、私はその陣痛が激しくなるのをむしろ喜んで頑張った。無事に女児を出産し、産着に包まれた赤子を抱いた。小さい命の重みと暖かさ、髪もふさふさして何と可愛い私の赤ちゃん!私の胎内でよくこんなに育ったことよ・・・と、畏怖と感謝の念がこみ上げてきた。夫も抱いて「いい子だ。いい子だ」と喜んだ。

 こうして市営アパートで子育ての新生活が始まった、お七夜に義父が命名書を書いて義母が壁に貼り、一緒に祝った。百日目の「お食い初め」で離乳食を始め、「這えば立て、立てば歩めの親心」そのままに、我が子の成長ぶりに目を見張って喜び、生きる力となった。

 2年後、私は第2子を出産した。3・9キロの男児で出産後に大出血し、私は輸血で危うく助かった。それで子どもは2人で諦めていた。

 ところがカトリックの洗礼を受けて、いのちの源である神の存在を知り、安心して子どもを願うと、次男、三男が安産で与えられた。育児に没頭した日々は「自分育て」でもあった。

 聖母マリアも旅先で出産し、み子を布に包んで飼い葉桶に寝かせた・・・と聖書にある。聖ヨセフと聖マリア、み子イエスの聖家族の日常はどんなだっただろう?貧しくとも互いを大切にして謙虚に祈る愛に満ちた暮らしぶりを想像し、真の幸せの模範として、今も多々教えられている。


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