幼子誕生

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 20年ほど前、私がいた教会にひろ君という中学生がいました。結構いたずらっ子で、学校では乱暴なところがあると言われていました。

 ある年のクリスマスのころでした。彼は、学校からの帰りがけ、いつも寄り道しながら家へとたどり着くのですが、その日、普段は何もないところに、段ボール箱が落ちているのに気が付きました。

 何が落ちているのだろうと近寄り、ふたを開けて見ると、可愛い生まれたばかりの子猫が中に入っていました。捨て猫でした。しばらくその子猫を見つめて離れようとしたとき、子猫が悲しそうになくのです。

 仕方なく家に連れ帰り、自分の部屋にかくしたのですが、すぐに母親に見つかってしまいました。「お願い。僕が面倒を見るから。飼っていい?」と母親に頼みました。案の定、母親は駄目の一点張りです。でもいつもと違って、熱心に頼んだせいか、母親も根負けしてしまいました。「面倒見なくなったら、すぐに保健所に連れて行くから」との条件で。

 それからです。ひろ君の生活は変わりました。朝寝坊だったひろ君は、一番に起きて、すぐに猫のところへと行きます。学校でも授業が終わると寄り道せずに、すぐに家に帰ります。そしてその後、なぜか性格も優しくなっていきます。

 「あの子には、外からもっとしっかりしなさいというよりも、生き物を育てる体験が必要だったのですね」と、彼の母親が私に語ってくれました。

 いつもは、自分中心の生活をしている人間も、子猫のような小さな命を育てる心に目覚めたとき、その人の心の奥にある優しさが引き出されるのです。

 彼の心にクリスマスの愛が宿ったのかもしれません。

幼子誕生

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 私の生まれ育った五島ではイエズスさまのことを御子さまと呼んでいた。

 御子さまと書くだけで、私の心はなつかしさでいっぱいになる。

 幼少の頃、クリスマスの前になると、古ぼけた木造の教会の片隅に、御子さま誕生のシーンが、馬小屋と共に再現された。

 マリアさま、ヨゼフさま、御子さまがそれぞれ美しく、何度見ても見飽きるということはなかった。

 学校から帰り、ランドセルを置くと、一目散に走って御子さまに会いに行った。

 その手には5円玉をしっかり握って・・・。

 その頃の私の一日の小遣いは5円。

 紙芝居は10円なので二日に一回見ることができたが、紙芝居どころではなく、5円は馬小屋の前の献金箱に入れるのが楽しみであった。弟も私にならって5円を毎日献金した。

 御子さまが誕生するにあたり、マリアさまの謙遜の心を黙想してみた。

 ある日、突然、天使があらわれて、神の子をみごもりなさいといわれた。

 その時、マリアさまが「とんでもございません。わたしごときが神のお母さんになるなんて・・・。お断りさせてください」と拒否したとしたら、御子さまは誕生しなかった。

 しかし、マリアさまは間髪を入れずに「仰せのごとく我になれかし」と答えられたのだった。まったき謙遜の心で受け入れたのであった。

 そしてヨゼフさまも寛容の心をもって受け入れた。最初は疑心暗鬼であったヨゼフさまにも天使があらわれ、事のいきさつを説明したのだった。

 御子さまはマリアさまの謙遜とヨゼフさまの寛容と、全身全霊をもって神さまを信じたおふたりの結晶として誕生された。


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