幼子誕生

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 小児科の待合室で、赤ちゃんを抱いている若いお母さんたちを見かけた。乳児検診の日だったらしい。隣り合って座ったお母さん同士には親しげな会話も生まれていて、幸福が灯ったように待合室は明るかった。

 子どもは柔らかな希望の種子である。まだ何ものにも染まらない無垢な赤ちゃんが愛され、守られているのを見る時、私たちはほっとして、不思議なほど満ち足りた気持ちになる。それは私たち人間の本性が善であることの、ささやかな証明のように思う。

 フィリピンのスラム街に飾られたクリスマスの馬小屋の写真を見せて頂いたことがある。ごみの中から拾ってきた材料で作ったということで、全てが寄せ集めである。板の壁は倒れないように、水を入れたペットボトルが結びつけられている。馬小屋の真ん中には、派手なお祭りの飾りに覆われた丸いバスケットが置かれている。その中にいるのは褐色の肌をした赤ちゃん人形で、バスケットの両側にいるのは、背の高い東洋の木彫りの像と、ヨーロッパ風の青い目をした少年の人形だった。

 だが、この傷んだ人形たちのクリスマスに、私は胸が締め付けられた。これが私たちの本当の姿なのだと思えたのである。ご降誕に集まったのは、捨てられ、傷ついた者ばかり。でも世界中の様々な国から集まったのだ。無垢で無力な幼な子の姿で、キリストは私たちの傷の中に降りて来られた。そして光となって、人々を癒し導かれた。

 私たちは皆傷ついた者だ。だが光を知って癒され、恢復する者でもある。・・柔らかい希望の種子である幼な子たちが幸福に育ちますように・・それは私たち癒された者の祈りなのである。

幼子誕生

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 ここ数年のことです。私は幼な子や赤ちゃんの気持ちが突然よくわかるようになり驚いています。電車の中で赤ちゃんが泣き止まずに困っているお母さんがいると吸い寄せられるように近付き、手をのばしてあやしている自分がいます。そのうちに自然に泣き止むことが多いのです。ふしぎですが、「喉が渇いたよ」、「ゆさゆさして」、「そばに来て触って」、と訴えている赤ちゃんの思いを感じるのです。

 あるとき、駅のホームで、ベビーカーに固定された幼な子が、お母さんと向かい合わせに座らされていましたが、小さな手を一生懸命に伸ばして泣いていました。お母さんは夢中でスマホを操作していて、顔をあげません。私はどんなに赤ちゃんが不安を感じているか痛いほどわかりました。お母さんに触れたいのです。せめて、見つめてほしいのだと思いました。

 私は思わず駆け寄り、ベビーカーをスーッ、スーッと何度も何度も前後させてあげました。母親が「あ、笑ってる」と言って顔を上げ、嬉しそうに赤ちゃんを見ました。ベビーカーの後ろにいる私には屋根で顔が見えないのですが、泣き止んだので嬉しくなりました。

 赤ちゃんは神さまの国から来たばかり。清く尊い存在です。まだお話はできませんが、周りの様子を全身で感じ、いろいろなことがよくわかっています。愛されているか、忘れられているか、喜ばれているか、ママが怒っているかなどです。

 お母さま方にお願いです。泣き止まない時はどうか祈ってください。「神さま、あなたの国からきたこの子は私に何をしてほしいと言っているのですか。教えてください」、と。そして注意深く見つめていると神さまは必ずわからせてくださいます。


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