幼子誕生

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 クリスマスが近づいてきたのに、わたしは神さまに見放されているのではないかという日々が続いている。人里離れたところにある修道会の黙想会に行って、わたしはどうしたらいいのか神さまに聴きたいと思った。一週間、黙想会でわたしのこれからの使命を祈った。

 そこでは「お告げの祈り」を1日3度唱える。ミサの前に先唱者がいれば唱えられるが、1日3度唱える「お告げの祈り」を、わたしはひとりでは唱えられなかった。信者になって幾星霜なのに。あるシスターに「『お告げの祈り』は、1日3回、マリアさまとお話することになるのよ」と言われた。黙想会から戻ってから、ずっと1日3回、唱えている。マリアさまとお話すると言われてもと思ったが、唱えてみると確かに、マリアさまに向かって自分の心を開いているのが不思議だった。

 み使いガブリエルがマリアさまに聖霊によって神の御子を宿すことを告げ、マリアさまが承諾し、「みことばは人となり、わたしたちのうちに住まわれた」と続く。(参 ヨハネ1.14)「みことばが人になる」って不思議なことだ。「みことば」が心と体をもって、わたしたちの住む世間に一緒にいらっしゃるのだ。わたしたちの世界では、「ことば」が手紙に綴ってあっても、手紙から人が出ていることはない。メールにしても、ことばが人になることはない。「みことば」は幼子イエスになり、神さまの愛を体現したものなのだ。

 それでは今の世界で、「みことばは人となり、わたしたちのうちに住まわれた」の「人となったみ言葉」って誰だろう。最初は幼子イエスだが、わたしたちの地域に住む人々の中におられるイエスの存在に気付き、それぞれができることを愛をもって惜しみなく注ぐことではないかと思った。

幼子誕生

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」(ルカ2・6~7)

 その後に、天使から御告げを受けた羊飼いたちが、「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」とあり、これはキリストの降誕の場面を記録したルカ福音書の記述です。(同2・16)また、マタイ福音書には、東方からの占星術の学者たちの来訪で、「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。」とあります。(マタイ2・11)

 聖書の中で幼子誕生が記録されているのはこの3か所だけです。

 ところが、西洋美術史を紐解くと、古今の聖母子の名画から普通の母子像まで何と多くの画家が幼子誕生をモチーフにしてきたかが解ります。13世紀末期から活躍したジヨットは、アッシジの大聖堂の壁画に、羊飼いの礼拝と3学者礼拝の両場面を描きました。

 しかし、ルネサンスを挟んで17世紀になると、画家の好みが分かれ、「羊飼いの礼拝」はムリリョやカラバッジョが、見る者を現場に立ち会う感動に誘い込むように生き生きと描き、ベラスケスの「東方3博士の礼拝」は、祭壇画のきらびやかな表現と異なり臨場感のある室内が描かれ、凛とした幼子が印象的です。

 ルネサンス時代は聖母子が多く描かれ、レオナルドダヴィンチの描いた「リッタの聖母」と、ラファエロの「カーネーションの聖母」は、幼子が自然なあどけない可愛いらしさで、聖母も我が子に精一杯の愛情を注いでいる手の動きと美しく優しい表情に描かれ、見る度に大きな感動を覚えます。

 幼子でも母でもあった自身を思い、私を懐かしい幸せな記憶へ誘う名画です。

 あなたも是非、一押しの幼子誕生作品を見つけて下さい。


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