わたしが抱く平和

シスター 山本 久美子

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 復活された主イエスは、鍵をかけて家の中に閉じこもっていた弟子たちの真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われました。(ヨハネ20・19)鍵がかけられていたのは、その時の弟子たちの心をも表わしています。弟子たちは、イエスの十字架上の死に落胆させられ、自分たちにも危害がおよぶことを恐れていたのです。しかし、イエスは、そんな弟子たちを咎めることなく、「平和」を約束され、「平和」の使者として世に派遣されました。

 イエスの約束されたこの「平和」こそ、私が心に抱く「平和」です。しかし、私たちの人生は、心配ごとや悩みが尽きません。日々いろいろなことに心を乱され、思い煩っている現実があります。それにもかかわらず、イエスは、私たちに「平和」を約束されるのです。

 同じヨハネ福音書の中で、イエスは、「私は、平和を世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」と言われています。(14・27)弟子たちの心が、恐れのために閉ざされていても、その真ん中に立たれたイエスは、日々思い悩む私たちの生活の中心にもおられるのです。

 日々の苦労や心配ごとが、私たちの思い通りに解決するわけではないかもしれませんが、その只中に、確かにイエスがおられるということです。閉ざされた戸、固い心さえ、イエスの「平和」の障害にならないのです。真ん中に立つイエスは、「私に触れ、信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と、私たちを励ましてくださいます。(参 ヨハネ20・27)

 どんな時も、私たちの心の中心におられるイエスに心を向け、信頼する信仰こそが、恐れを超えて、「イエスの平和」を生きる者にと、私たちを導いてくれるのです。

わたしが抱く平和

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 私の父は明治37年生まれ。先の戦争の時、何度か招集されて戦地へ行ったが、私の記憶する限り、戦地の話をほとんどしなかった。

 衛生兵であったから、傷ついた人、亡くなった人の世話をしたであろうに・・・。

 戦争について父がいったことばを覚えている。

 「ミンコたちの時代はよかねえ。もう戦争はなかとじゃけん。日本は二度と戦争はせんと決めたとじゃけん。もしも父ちゃんが先に天国へ行くとしても、あがどんばこの世にのこして行くとしても、安心たいね。平和な世の中じゃけん」

 いつまでもいつまでも平和が続くことを信じて父は帰天した。

 子どもの頃、夕の祈りが終わり、寝床につく時、父母はいった。

 「安心して眠ればよかよ。誰も襲いに来る者はおらんしね。父ちゃんと母ちゃんが見守っとるけんね。神さまはもっと大きか力で見守ってくれてるけんね。」

 私は父と母がいる限り、絶対、安心と心強く思って眠りについたものだった。

 後年、私が母になった時、子どもに対し一番心がけたことは、「お母さんがいる限り安心」と思ってもらえることだった。

 私が母からもらった安心、つまり心の平和を、息子に伝えることであった。

 親が子どもにのこしてやれる最大の財産は心の平和ではないかと年を重ねるにつれ、実感している。

 心に平和をもっていなかったら、始終落ち着かない。誰かに何か悪いことをされるのではないかと疑うと夜もゆっくり眠れない。

 世界の平和を誰もが願っていると思うが、まずは自分自身の心の平和、家族の平和、隣近所の平和、日本の平和、アジアの平和・・それらを日々願い続けている。


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