わたしが抱く平和

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 5月1日、展覧会初日とあって金沢に出かけました。

 生憎肌寒い日でしたが、特別な連休の為、街は異常なまでの混雑でした。

 「奉祝・天皇陛下御即位」と書かれた幟がはためき、白地に金文字で「令和」と書かれた小旗が至る所に飾られていました。

 前日までの平成時代は、日本では戦争の無い平和な時代と言われましたが、世界は湾岸戦争に始まり、各地でのテロの多発、大国による覇権争いは一向に収まらず、平和は程遠いものでした。

 そればかりか、日本はかつてないほど短期間に度々大きな災害に見舞われ、未曽有の被害をこうむりました。そのため国民の皆が、令和は災害の無い、人々が安心して暮らせる本当に平和な時代になるようにと願っています。

 私は2000年に開催した個展で、50号の油絵の大作10点からなる「ヨハネの黙示録」を発表しました。1990年代は、日本26聖人殉教400年や、聖フランシスコ・ザビエル来日450年に当たるなど、歴史的な出来事の節目で、キリシタン歴史画の作家としては、記念に合わせた作品発表が必要でした。ヨハネの黙示録は、合間を縫って何回も聖書を読み直しては取り組み、10年がかりで完成した、自身の信仰告白の作品です。

 ところで、私が抱く平和は自分自身に正直であることが基本で、お互いが正直に生きることを認め合い、違うところは個性と受け入れ、全てを許しあえる人間関係のことです。

 今後も起こるであろう天災は防ぎようが無いでしょう。困難な環境になる時は試練と受け止め、人間同士協力し、平和を求めるプロセスにこそ積極的な平和を感じます。静かな平和は消極的で心を感じません。

 令和は心を大切に積極的に平和を築いていく時代にと祈ります。

わたしが抱く平和

森田 直樹 神父

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 聞きかじりですが、「平和」の定義に次のようなものがあるそうです。"平和とは、ただ単に争いが無い状態を指すのではなく、人間一人一人の尊厳が大切にされる状態である"。

 言い換えると、先の戦争以来、この国では戦争は起こっていません。その意味では、「平和」なのかもしれません。しかし今現在、本当に一人一人の尊厳が大切にされているか、といえばどうでしょうか。心が痛むような事件のニュースをよく耳にしますが、これははたして「平和」だと言えるのでしょうか。

 時代が進むにつれて「平和」の意味や概念が変わってきているのだと思います。ただ単に戦争が無いことが平和ではない、という理解が広まってきているのでしょう。

 ところで、カトリック教会では、ミサの祈りの中に、次のようなイエスさまの言葉があります。「わたしは平和をあなた方に残し、わたしの平和をあなた方に与える。」(ヨハネ14・27)

 イエスさまがくださる平和とは、もちろんのこと、単に争いが無いことだけではありません。それは、心の完全な平安でもあり、また、一人一人が決して傷つけられることなく、その存在を精一杯に花開かせていく状態でもあるのです。いわば、完全に満たされた状態とも言えます。私たちの救いそのものです。

 ところで、戦争をなくすためには、一人一人の心の中から争いをなくす必要があると言われます。そう考えると、イエスさまがくださる平和を実現するためには、イエスさまといつも繋がり続ける必要があります。

 イエスさまは言われます。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」(ヨハネ15・4)

 イエスさまがいつも差し出してくださっている手をしっかりと握っていきたいと思います。


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