わたしが抱く平和

三宮 麻由子

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 エッセイストになったきっかけが鳥の声にまつわる本だったことから、私はよく、講演で鳥の話をします。その主眼は、環境保護と世界平和です。

 これらは一見別のテーマに見えますが、実は深くつながっています。

 環境は戦闘で破壊されることもありますが、多くは、保全活動を巡る利害で世界が一致できないために破壊されているのではないでしょうか。

 著書「沈黙の春」で農薬が生物にもたらす危険を警告した海洋学者レイチェル・カーソンや、日本野鳥の会を設立して野鳥保護の法制化に取り組んだ中西悟堂氏は、くしくも似た時代に環境破壊を告発し、国際的な連携を呼びかけました。

 一方、石炭を採掘する炭鉱では、生きたカナリアが長いこと一酸化炭素検知器として使われ、苦しみを受けましたが、電子検知器の登場により法律でカナリアの使用が禁止されました。これは、人々が心を一つにしてカナリアたちの命を大切にしてくれたケースといえます。

 環境保護と文明の発展をバランスよく両立させるには、人類が心を合わせて「平和」を目指す必要があると私は思います。それは、特定の国が戦争に巻き込まれないことではなく、全人類が武器を捨て、言葉と叡智を通じて手を取り合う、スケールの大きな平和です。

 環境のバロメーターと言われる繊細な鳥たちが元気に囀る一方、人類が動物を犠牲にすることなく、技術を磨いて文明を築いていける、それが世界平和なのかもしれません。

 講演の最後に持ち曲の「青いカナリア変奏曲」をピアノで弾くとき、私はこう話します。

 「これを弾くときはいつも、カナリアのような小さな鳥たちが安心して囀れる平和な世界が実現するよう祈ります」

 これが、私の思い描く平和の姿です。

わたしが抱く平和

堀 妙子

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 祖母は11歳のとき、両親と4人の兄弟とともに、松島を旅行した。その時の印象を、「こんなに幸せでいいのだろうかと、怖くなった」と、幼い私に話してくれた。次の年、母親が亡くなり、12歳の祖母はその後、親類を転々としながら暮らした。女学校には行けなかったので、その卒業式を見に、講堂の窓からつま先立ちで見ていたという。わたしは祖母の悲しみを思った。

 しかし、その後、祖母の抱く幸せや平和の基準が違っているのを知ることになる。

 わたしは幼い頃から、米沢の両親の家から、福島にある祖父母の家に、何度も泊まりに行った。家からほど近いところには修道院があり、時々、外を歩いているとき、フランス人の修道女たちとすれ違ったりする。祖母は修道女が大好きだった。彼女たちに、祖母は輝くようなほほえみをもって挨拶した。祖母は修道女から、その修道会が経営するミッション・スクールの卒業式に、毎年招待されていた。「バラのアーチをくぐって卒業証書をもらうのだ」と話してくれた。

 その後、しばらくして、祖父母が米沢に来て同居するようになった。祖母は仏教徒のはずなのに、私が中学生の頃、聖書とは言わずに、「バイブルは読んだほういい」と言った。家に小さな新約聖書があったので、わたしはこの聖書を読んだ。祖母は何も言わなかったが、これは祖母のものだったと思う。わたしに最初にキリストを知らせてくれたのは、祖母だったと、今になって気がついた。

 人間的な意味での幸せや平和は怖いと、幼いわたしに祖母は繰り返し教えてくれた。世間的な幸せや平和は崩れる。自分を捨てて永遠の存在に向かう平和こそ本物だと、祖母は幼い頃から繰り返し教えてくれていた。


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