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心を開く

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 目に見えず、形もない、心とは、なにか。考えさせられるこの重大なテーマ、考えれば、考えるほど、いろいろなことが言えそうです。その中の一つ、「神が人間と関わる場」というのも、立派な定義ではないでしょうか。

 そもそも日本語の「こころ」という言葉は、「凝る」という言葉から来たとも言われています。「凝る」とは、「散り散りにある同質のものが一つに結合し、固まる」ことを意味し、「熱中する」ということにも通じます。人によってそれぞれ異なる人生。なにに凝って生きるか、なにに熱中して生きてきたかによって、その人の人生は変わりますし、この二十一世紀に入って、そのプライベートなこと、個人の良心や人生観が、私たちの生きる社会全体に、絶大な影響をもたらすことは、すでに多くの人々が日々、感知し、熟知しています。

 神に愛されている人間、生まれつき、幸福を求め、愛を追求し続ける人間。その幸福とは、いったい、なにか?説教がましく響きますが、結局、人生の最終目的は、絶対者の栄光にあり、神を知り、神を愛し、神に仕えること。常に理性的に倫理的良心をもって生きることであります。

 このことを確証するかのように、ローマ法王フランシスコは、昨年秋の国連総会で演説、「暴力や戦争は、すべての権利を否定する。今日ほど、人間の理性の働きある倫理的良心が嘱望されたことは未だかつてない」と、世界の指導者の良心に強く訴えかけました。この訴えに多くの人々が共鳴、共感し、肝に銘じています。

 聖書も私たちに訴えています。日常的なことをきわめて具体的に「二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、清い良心と信仰を保つ者となりなさい」と。(1テモテ3・9)