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子育ての実り

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

ご存じのように、カトリックの神父は結婚いたしません。その神父であるわたしが、「子育ての実り」というテーマについてお話ししようとすれば、いきおい神父として大勢の人びとに主キリストの福音を講じてきた過程において、主キリストを信じ、受洗された多くの「霊的子どもたち」のことを思い起こします。

何を言いたいかといいますと、わたしは50年近く、主に大学生や若い社会人を対象に、キリスト教の講座を開いてきました。その関係で、割合多くの人びとが信仰に目覚めて洗礼を受けました。彼らの多くは、受洗後もしばらく、講座に通い続けましたが、そのうち大学を卒業し、就職し、社会人となって、それぞれの職場や環境で活躍しています。

そこで今も驚いていることが、彼らのうち、少なからぬ人が大学の教員になっていることです。私は、大学の教員でしたが、同時に神父でもありましたので、学者でも研究者でもなく、単なる教育者や伝道者にすぎませんでした。にもかかわらず、わたしの講座の出身者の多くが、大学や学校の教員になっているというのは、彼らの言によれば、わたしの話し方や教育論が、当時、若者であった彼らの気持ちを奮い立たせ、教師となって、若い人たちを教育しなければという思いに駆り立てたというのです。

これもまた、子は親の姿を見て育つではないが、教師の姿が生徒たちの幾人かでも、教師という職業に就かせたとすれば、わたし自身はそれを全く意図しなかったとしても、子育ての実りといえるのではないでしょうか。

講座クラスの生徒たちに聞くと、「越前先生のような先生に自分もなりたかった」という声を聞いたことがあります。

わたし自身は、拙い伝道者や教育者にすぎませんが。