私たちのお母さん

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

旧約聖書の中に、「購い」と言う言葉が出てきます。この言葉には、「買い戻す」と言う意味があります。罪の世界から私たちを解放して下さった、私達の購い主、つまり救い主は、イエス様だけです。マリア様は、人間ですので、私達の側の方です。

サンダー・シングと言う人が、『イエス・キリスト封印の聖書』という著書の中で、購いに関して、次のような譬えを語っております。譬え話は、大まかには次のような話です。

インドで、2人の青年が賭博行為で捕まります。1人は、金持ちの御曹司で、もう1人は、貧しい家庭の青年でした。金持ちの青年には、すぐに保釈金が払われ、釈放されましたが、もう1人の青年は、家族が保釈金を払うことができず、拘留されることとなります。彼の母親は、保釈金を貯める為、重労働であったにも拘らず、朝から晩まで石材置き場で働きます。仕事の際、石が手に落ちてきて、手が傷だらけになっていきます。ある日、拘置所を見舞った母親の血だらけになった手を見て、青年は、一体どうしたのかと尋ねます。母親は、保釈金を貯める為、石材置き場で懸命に働いていると答えます。それから暫くして、この青年もやっとのことで釈放されます。ところが、どうでしょう。先に釈放されていた、もう1人のあの青年が、彼の所へやって来て、もう一度賭博をやろうと誘ってきたのです。

この青年が、それに対してどのように答えたかは、皆さんもお分かりになると思います。

私達は、イエス様の血によって、罪の世界から購われました。マリア様は、イエス様の購いの業の最高の協力者、私達の強くて優しいお母さんです。

私たちのお母さん

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

朝の祈りの時に、私に出来る小さなことをあなたに感謝としてさしあげます、と聖母マリアに祈る。「わたしの目が開き、周囲で助けを求める人が見えますように。自分のできる小さなことを実行できますように」と。

マザー・テレサも「インドに来なくてもいいのです。あなたの周囲にいる人に笑顔を向け、優しい言葉をかけてください。近くで困っている人に親切にしてください」とよく言っていた。日常は同じことの地味なくり返しだから、誰でも特別で立派なことをしてみたいと想像する。だが、私たちに神様が求めていることは英雄的なことではなく、両親に優しい手紙を書いたり、夫に昨日よりもおいしいお弁当の一品を考えたりすることの方だろう。仕事や家事に追われ、疲れているのが当たり前の生活の中で、それは簡単ではない。頼まれているわけでもないのでサボることもできる。かなり強い気持ちと祈りがないとできないものだ。

さて、実際にごく小さなことを実行したとする。その結果、感謝されることはほとんどない。小さいので気づかれないことも多い。「感謝されなくてあたりまえ」。私はなるべくそう思うようにしている。だが、ごくたまに驚くような嬉しい言葉を受けることがある。

「今日、ここに来てよかった! あなたにお会いできたから」。先日、初めてお会いしたご婦人が私にそう言ってくれた。ごく自然にふるまったことが何か彼女を喜ばせたらしい。大きな励ましになった。

こまごまとしたことはいつも聖母にお願いしているので、この日のことはマリアお母さんのおかげだと思う。まるで特別なスイーツをママからいただいたような感じがした。


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