院長は聖なる生活をもって、他のシスター方のすばらしい手本となる人であったというから、臨終の時、マリアさまがお迎えに来られたのであろうことが想像される。
マリアさまは私も幼少の頃から親しんできたが、「私のマリアさま」ではなく、「わたしたちのマリアさま」と思ってきた。
わたしのお母さんは実母、うんだき親と呼ばれる名付け親は魂のお母さん、教え方さまは信仰のお母さんと思っている。
マリアさまは全人類のお母さんであり、わたしのお母さんなどとはとても呼べない。
マリアさまはイエズスさまをお産みになり、ヨゼフさまと共にいつくしんで育てられた。
なのに、人々の罪のつぐないのために十字架にかけられた我が子をまのあたりにしなければならない血のにじむような苦悩を味合われた。単なる我が息子、我が母の、地上の人間関係であったらこのような苦悩に耐えられなかったであろう。
十字架上のイエズスさまを見送ったこの瞬間から、マリアさまは天のお母さま、私たちのお母さまになられたと思う。
私も今年70歳になる。自分の臨終の時のことも考える。その時、イタリアの院長のように、「わたしのお母さん」と魂の根源に一致する呼び方が出来たらなと願っている。
それは遺伝子の学説の一つである「アフリカ単一起源説」、「イブ仮説」とも呼ばれていて、約20万年前、たった1人の女性から現代人は生まれたと主張しているアラン・ウイルソンの学者グループです。
地球上の現代人はたった1人の母から生まれている、つまり、私達は「わたしたちの{おかあさん}」を持っているという学説です。この学説は私が生きていく上でも、色々関わっているNPO団体においても大きな希望を私に与えてくれています。愛である全知全能の神様が何故、沈黙されているのか、と悩む時、まてよ、この学者に知恵を与えたのも愛である神様だし、私に学説を気付かせ元気づけたのも神様の働きかけかなあと思いました。
私は「人の身体は神の神殿」と信じていますので、大きな暴動事件や難民の生活を見ましても、それぞれの立場の人間に住む愛である神様が、それぞれに何をすべきか語りかけていないはずがありません。まして現代人80億の祖先が1人の母から生まれたと信じたら、どんな難問がおきて、今、答えが見えなくても明るい希望が生まれてきます。
何かを信じると見えてくるものがあります。