故郷に戻った後、しばらくは平和な生活が続いたようです。その姿は「ガリラヤの主婦」とも言えるでしょう。
飼い葉おけに寝かされていた子どもは成長し、父親の家業を手伝いながら、ある日、多くの人々に神さまの愛といつくしみを告げるために、母のもとを去っていきました。「旅立つ息子をただ見送るしかなかった母」となりました。
この息子は、濡れ衣を着せられ、人々のあざけりを受けて十字架にかけられてしまいました。この方は「死刑囚の母」となり、心の中に大きな悲しみを刻み付けられることとなりました。
十字架にかけられた息子は、不思議なことに、その弟子たちに現れ、祈る共同体ができました。その中にこの方もいたと言われます。「教会の母」として、自分の息子が救い主であると信じ、その弟子たちと祈り続けました。
この方はその生涯の終わりに天に上げられたと信じられています。いわゆる「栄光の母」となられたのです。
この方の生涯を振り返ると、まさに波乱万丈の生涯でした。それゆえ、聖母マリアは「わたしたちの『お母さん』」として存在し続けるのです。
ところが、40代から60代の母親を持つ子ども1000人に「お母さんを漢字一字で表すと何ですか?」と尋ねると、回答は1位(やさしいの)「優」、2位「愛」、3位「強」(つよいという意味の、きょう)であった。子どもたちから見ると、お母さんは友人というより、家事も仕事もこなす強い人というイメージであるらしい。ちなみに父親像の上位には、「静」という漢字が挙げられている。
静かなお父さんと強いお母さんという組み合わせは微笑ましい。こんな家庭が円満なのだな、と思わせる。
しっかり者で家族を愛する多くの女性たちは、みな普通の人たちだ。育児に悩むこともある。独身時代は特に子ども好きでもなかったかもしれないのに、いつの間にか、子どものために一生懸命になっている。彼女たちは愛が温かく湧き出す泉を体の中に持っているのだ。それは誰に教えられたのでもなく、彼女たち自身の奥から湧いてくる。そしてその泉は、私たちの聖なる母の愛を源としているかのように、いつまでも尽きない。その方もかつて地上では、よく働く、心の強いお母さんだったのだ。
私たちのまわりにいる大勢の良きお母さんたちを大切にしたいと思う。彼女たちの中には、清らかな聖母の愛が流れているのだから。