私たちのお母さん

中井 俊已

今日の心の糧イメージ

5月と10月、知り合いのどなたかを誘って、ロザリオの祈りを唱える巡礼に行くことがあります。

長崎に住んでいる時は、海の見える教会のマリア像のところまで行ったものでした。

その日、同行してくださったTさんは高齢にもかかわらず、背筋がしゃんと伸びた人です。次々と戦友を失う辛い戦争体験を経て、戦後は会社を起こして一心不乱に働き続け、会社が500人の従業員を抱えるほど成長してから引退されました。その後間もなく受洗。約10年前に洗礼を受けられていた奥様や娘さんの仲間入りをされたのです。

「もっと早く、カトリックに改宗しておれば、部下たちにもう少し優しくできておったと思います」

けれど、前を向くTさんの表情は、決して暗くありません。私たちを優しく見守るマリアさまの下では、人生の辛酸を舐め尽くしたTさんのような人でも、幼子のようになれるのでしょうか。

「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます」

潮騒のかろやかなリズムが耳に響き、磯の香りをのせたやわらかな風が頬をなでます。

これまでどれだけゆるし助けられてきたことでしょう。それなのに、同じ過ちを繰り返してきました。

これまでどれだけ見守られてきたことでしょう。それなのに、長い間気づきもしませんでした。

これまでどれだけ愛されてきたことでしょう。それなのに、感謝することさえできませんでした。

  

私もまた、ほほえむマリアさまのかたわらで、小さな子どもになって祈るのです。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」「ありがとう。ありがとう。ありがとう」「そして、これからも、どうかお助けください」

私たちのお母さん

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

私は、姉と私の2人姉妹で、昔気質の厳格な父のもとで口答えひとつできない家庭で育ちました。しかし、母はいつも優しく、どんな時にも私たちの側に立ってくれる「おかあさん」でした。

最近、高齢になった母が病気になり、より一層その存在と愛情の大きさ、有難さを感じています。母は、病床にあっても、痛みがひどい中でも、自分のことより娘や、夫である父のことを気にかけ、「あなたが病気になっても、私は、もうあなたの許に行ってあげられない」と心配しています。そう言って涙した母に、私は心揺さぶられる思いを味わいました。今は、身の回りのこともできなくなってしまった母ですが、母の心は、永遠に「わたしたちの『おかあさん』」だと実感し、胸が一杯になります。

私は、目に見えない神様の無条件の愛をどのように感じ取ることができるかを、具体的に母を通して示され、体験しています。

主イエスも、聖母マリアから「おかあさん」の愛を存分に受けられたのではないでしょうか。だからこそ、十字架上での苦しみの最中にあって、御自分の母であるマリア様を、「あなたの母」だと1人の弟子に委ねられたのでしょう。この母なら、御父の愛と慈しみを弟子たちや後世の私たちに表し、その道を照らし続けてくださると確信されたからだと思います。

現代、母親からさえも愛を感じ取ることができなくなった子どもたちのニュースを度々耳にします。そのような子どもたちにどのように神様の愛を伝えられるのでしょうか。

十字架の許で主イエスと共に立ち続けた「わたしたちの『お母さん』」に聞きながら、「母」の心に倣いたいと、私は願っています。


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