「もっと早く、カトリックに改宗しておれば、部下たちにもう少し優しくできておったと思います」
けれど、前を向くTさんの表情は、決して暗くありません。私たちを優しく見守るマリアさまの下では、人生の辛酸を舐め尽くしたTさんのような人でも、幼子のようになれるのでしょうか。
「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます」
潮騒のかろやかなリズムが耳に響き、磯の香りをのせたやわらかな風が頬をなでます。
これまでどれだけゆるし助けられてきたことでしょう。それなのに、同じ過ちを繰り返してきました。
これまでどれだけ見守られてきたことでしょう。それなのに、長い間気づきもしませんでした。
これまでどれだけ愛されてきたことでしょう。それなのに、感謝することさえできませんでした。
私もまた、ほほえむマリアさまのかたわらで、小さな子どもになって祈るのです。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」「ありがとう。ありがとう。ありがとう」「そして、これからも、どうかお助けください」
私は、目に見えない神様の無条件の愛をどのように感じ取ることができるかを、具体的に母を通して示され、体験しています。
主イエスも、聖母マリアから「おかあさん」の愛を存分に受けられたのではないでしょうか。だからこそ、十字架上での苦しみの最中にあって、御自分の母であるマリア様を、「あなたの母」だと1人の弟子に委ねられたのでしょう。この母なら、御父の愛と慈しみを弟子たちや後世の私たちに表し、その道を照らし続けてくださると確信されたからだと思います。
現代、母親からさえも愛を感じ取ることができなくなった子どもたちのニュースを度々耳にします。そのような子どもたちにどのように神様の愛を伝えられるのでしょうか。
十字架の許で主イエスと共に立ち続けた「わたしたちの『お母さん』」に聞きながら、「母」の心に倣いたいと、私は願っています。