すると母は「そうたいね、とうちゃんのいう通りたいね。どげんえらかお医者さんでん、自分の生命の終りば、何月何日の何時とはいいきれんとじゃもんね。パパさまでん、ひょっとしたらいいきれんかもしれんたいね。」「生命はすべて神さま任せ・・・」と歌うような調子でいうのだった。
そんな父母の会話を聞いて大きくなったので、生命は融通できんというのが当たり前のこととして私の頭の中にあった。
しかし、その思いはある日、くつがえされた。コルベ神父さまの伝記に出会ったからである。
コルベ神父さまは、第二次世界大戦中、ナチスの横暴で、強制収容所に入れられていた。同じ房にいた、妻子ある男性がガス室に送られようとしていた時、神父様は「カトリック司祭です。わたしには妻も子もありません。それに、わたしはもう若くないのであまり働けません。あの人の代わりに、わたしを餓死刑にしてください」といい、その男性の生命を助けたのであった。自分の生命を融通したのである。
そういえば、その本家本元はイエズスさまなのだ。人類の罪のつぐないのために、自分の生命を捧げたのだ。イエズスさまもコルベ神父さまも肉体は滅びても、永遠の生命は今も生き続けている。