2016年12月13日の心の糧

クリスマスに学ぶ

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ ヨゼフさまは一体いつ頃から、ご懐妊されたマリアさまのお腹の赤ちゃんが神さまの御子だと自覚されたのだろうかと考えてみることがある。

マタイの1章20節に「妻マリアを家に迎え入れるのを恐れるな。その胎内に宿されているものは、聖霊によるのである。」と書かれている。

ヨゼフさまとて人間だから、一度は疑念を抱いたかもしれない。が、だんだんとマリアさまのお腹の赤ちゃんは聖なる御子だと思えるようになって、この母子を命をかけて守らなければならないと決心された。

その決心がゆるぎのないものとしてヨゼフさまの心身を貫いたのが、イエズスさまご誕生のときではなかったかと私は推察する。

ご誕生になったイエズスさまを、ヨゼフさまは肉眼とともに、心眼でご覧になったと思われる。きっとご誕生の瞬間から、イエズスさまの御姿は神々しかったにちがいない。

人間のヨゼフさまが、神さまの御子であるイエズスさまに接し、その神々しさに打たれ、恐れを抱いたかもしれないと思う。

ヨゼフさまは自分が選ばれた人となったことを、ご誕生の瞬間から強く感じられ、自分の一生をかけてこの聖母子のために尽くさなければと、肝に命じたのだと思う。

聖書にはヨゼフさまの記述は少ない。

少ないからこそ、私はいろいろと想像する。

ヨゼフさまはマリアさまよりうんと年上であったらしい。だからこそ、うんうんとすべてを受け入れ、終生変わらぬ心やさしい保護者であった。イエズスさまご誕生後、夢で天からの警告を受けて、ヘロデ王の手から逃れるために、聖母子を連れてエジプトへ行き、ヘロデ王亡きあと、イスラエルに戻って来た。その後、ガリラヤに引き、ナザレに落ち着かれた。めまぐるしいご苦労を支えたのは、ヨゼフさまの心眼だったと思えるのである。

2016年12月12日の心の糧

クリスマスに学ぶ

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ 私は聖地イスラエルを訪ねたとき、3回とも、ベトレヘムの羊飼いの丘の教会に参りました。なんとなく好きだからです。

1回目の時は、30年以上も前のことですが、数名のシスターたちとそこの聖堂でミサを捧げたのが、なつかしく想い出されます。

ルカ福音書によれば、クリスマスの夜、主なる神の天使がそこの羊飼いたちに現れ、「民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町、すなわちベトレヘムで、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と言われた、とあります。(2・10~11)

神の御子が、マリアを母として人間になられ、可愛い赤ちゃんとしてベトレヘムにお生まれになったということは、人類の救い主になられたということを意味しています。ですから、この真実を信じ、受け入れる人は、救われ、永遠の命を頂くのです。ですから、喜ばずにはいられないでしょう。

また、救い主の降誕は、この世で悩み、苦しみ、悲惨な思いをしている人びとに救いの希望を与えます。なぜなら、主キリストは、彼らの救いと永遠の幸せのために、十字架を担われ、エルサレムのカルワリオの丘で磔刑に処せられ死なれたからです。しかし、キリストは、3日目に栄光の体で復活されました。それは、人類の救いの希望が、必ず実現することを保証するためでした。ですから、私たち人間は、どんなにひどい状況にあっても、未来にはもっと素晴らしい世界が訪れることを信じて、希望と喜びのうちに生きていくことができます。

その根底にあるのが、父なる神と御子イエス・キリストの私たちに対する無条件の愛といつくしみにほかなりません。


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