教会のクリスマスの飾りつけは美しい。灯された明りは、通りかかる人を明るませ、羊飼いや子羊の飾りは、浄らかさを見る人に分け与えてくれる。どんな華やかなイルミネーションより、この灯は人の心を打つ。それは、この灯が、かつて或る小さな馬小屋に灯り、人々の大きな喜びとなった光だからだ。遥かな道のりを旅して来て、今も1人1人の喜びになろうとしている光を、私たちは見ているのである。
教会の前を通りかかった人が、ふと目を止め、足を止めることがあるのは、聞こえてくる祈りの中に、時を越えてあふれる光や声が感じられるからではないだろうか。
電車の中にいた声の持ち主も、心を引かれる何かがあって、イヴの日に教会の話をしたのだろう。彼女の心を引き寄せた見えない手、そしてその手に静かに包まれている光を、私はクリスマスの恵みと呼びたいと思う。
次に考えるのは喜びです。キリスト様がお生まれになった時、ベトレヘムの近くで羊の番をしている羊飼いたちに天使が現れ、「すべての民に及ぶ大きな喜びのおとずれをあなたがたに告げる。きょう、ダビデの町に、あなたがたのために、救い主がお生まれになった」と言いました。(ルカ2・10~11)
アダムとエバが罪を犯した時から、人々は罪のために苦しんだり悩んだりして、救い主がおいでになる時を期待していました。その時、キリスト様が救い主としておいでになって、すべての人々の罪を贖われたことは何よりも喜ばしいことでした。
3番目に考えるのは平安です。一人の天使がキリスト様の誕生を知らせてから、大勢の天使が現れて「いと高き天においては神に栄光、地においてはみ心にかなう人々に平安」と歌いました。(ルカ2・14)つまり、キリスト様のみ教えに従って神様のみ旨にかなう人々が、キリスト様の光によって心の平安を感じるということです。
もちろん、クリスマスの光と喜びと平安は、キリスト様の無限の愛によって与えられます。この4つのこと、キリスト様の光、喜び、平安、そして愛をよく考えると、クリスマスの精神がよく分かり、大切なことを学ぶことが出来るのです。