クリスマスに学ぶ

末盛 千枝子

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クリスマスのことを考えると、いくつもの感動的な場面があります。まず、大天使ガブリエルがマリア様に現れて、御子を身ごもることを告げる時のことです。マリア様は恐れ、悩みながらも、自分にはわからないけれど、神様のお言葉の通りになりますように、と答える場面です。あの方の一生は、ずっとそのことの繰り返しでした。どんなに大変だったでしょうか。そのことを考えると、私たちは自分の大変さなど、とても文句は言えないと思ってしまいます。ただ、この困難にも、きっと何かの意味がある、そう思うことが出来るのではないでしょうか。

私の机の上に、フランスの修道女が作った小さな少女マリアの像があります。

その像のどこが好きかと言うと、とても真面目な表情の少女は、両手を体の脇におろして、その手をすっかり広げて立っているのです。この像の裏には受胎告知、とタイトルが書いてあります。そのことに気がついた時、本当に驚き、感動しました。受胎告知とは全てをあなたにお任せします、と言って、自分の手を空っぽのまま差し出すことだったのだと気がつかされたのです。

私には、カトリック教会がマリア様を大切に思ってきたのは、そのためだったのではないかと思えるのです。どのようなことが待ち受けているかわからなくても、自分に与えられた呼びかけに従おうとすること。きっと、それがまず最初に私たちに与えられるクリスマスのメッセージではないでしょうか。そして、このことなしには、救い主は私たちに与えられなかったと思うと、私たちの人生も、この少女のように、両手を広げて「お任せします」と言い続けることではないかと思います。

クリスマスに学ぶ

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

神のおん子イエスさまが、わたし達の救いのために人の子としてお生まれになったということを、「メリー・クリスマス!」と世界中の人がお祝いする日。

このご降誕のドラマは、聖劇としてたいてい教会学校の子供達によって演じられますが、その最初のシーンは天使によってもたらされた「受胎告知」ですね。

「あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい」(ルカ1・31)

この天使のお告げをうけたマリア様、名もなく貧しいおとめであったかたは、どんなに驚き、おそれられたでしょう。なぜってその当時、未婚の女性が子を産むなどとは許されるべきことではなかったからです。

ですからマリア様は、最初天使のことばに抵抗したのでした。

「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と。(同1・34)けれど彼女は、神にお出来にならないことはないとの天使のことばに、「わたしは主のはしため。おことばどおりになりますように」と応えました。(同1・38)

あまりに有名なこのシーンにすっかり慣れてしまってあたりまえのように見たり聞いたりしてたわたしは、ある時、この、「おことばどおりになりますように」が、どんなに勇気にあふれた、神のみことばへの受け入れであるかに気づいたとき、からだの震えるような感動を覚えたのでした。

わたしだったらーーなんておこがましい想像ですが、何と応えたでしょうか?

「とんでもない!そんなことが起こったら私は世間の笑いもの、つまはじきにされてしまいます。絶対に困ります」などと辞退?するのではないでしょうか。

神の呼びかけに「はい」と答えて従うこと、すべてはそこから始まるのだと・・・そしてそれは神がさせてくださるのだと、クリスマスのドラマの一番最初のシーンは告げ知らせてくれます。


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