授賞式にうかがったときにいただいたオルゴールのCDを聞いて私ははっとしました。
収録されていた曲の大半が、クリスマスに関係のある音楽だったのです。賛美歌、聖歌、鐘の音楽、アメリカのクリスマスソング。古いオルゴールのなかに、なぜこんなにクリスマスの曲が多いのでしょう。
私は考えました。クリスマスとは、多くの人にとってそれほどまでに特別なことなのではないか。イエスが救い主として過酷な運命を背負って生まれてきてくださったことに喜びと希望を感じる人たちが、最も美しい心で、最も美しい旋律を作り出し、最も美しい音の1つであるオルゴールにその音楽を込めたのではないか、と。そういう音楽だから、クリスマスソングは教派や信仰の有無を超えて、聞く人の心を打つのではないかと思い当たったのです。イエスと自分は関係ないと思っていたとしても、心の門はこうして叩かれているのでしょう。
試練のなかでは、自分がたった1人のように思えます。でも違います。誰かが必ず見ていてくれています。一緒に祈ってくれています。私自身、衝撃とともにそれを経験しました。
クリスマスソングを聞くとき、1人ではないことを思い出しましょう。そして、希望を捨てずに歌ってみようではありませんか。
「母よ、お前の子どもを抱き、鳩のように喜びをもって彼らを育て、その足腰を強くせよ。わたしがお前を選んだのだ」と聖書にある通りです。(ラテン語エズラ記2・15)
しかし、社会が複雑になり、誰もが傷ついている現代では、様々な深刻な問題が生じています。身ごもったお母さんが、どうしても育てられないことも多いのです。その場合、自分が育てられないからといって赤ちゃんを亡き者にするのではなく、他の人がお母さんになってもいいのではないでしょうか。肉親の母は「生む」という一大事を果たし、育てられる人たちは喜んで育ての親になる。この連係プレーについて、私たちはもっと楽観的になっていいと思います。
なぜなら、すべての命は神が造られたものですから、私たちは共通の親をもった兄弟なのです。そして、神に似せて造られた「人間の命」は最優先されるべき貴重な存在です。
心配は横へ置きましょう。赤ちゃんの人生は必ず神さまが守る、と信じていいのです。