2016年12月20日の心の糧

クリスマスに学ぶ

小林 陽子

今日の心の糧イメージ 神のおん子イエスさまが、わたし達の救いのために人の子としてお生まれになったということを、「メリー・クリスマス!」と世界中の人がお祝いする日。

このご降誕のドラマは、聖劇としてたいてい教会学校の子供達によって演じられますが、その最初のシーンは天使によってもたらされた「受胎告知」ですね。

「あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい」(ルカ1・31)

この天使のお告げをうけたマリア様、名もなく貧しいおとめであったかたは、どんなに驚き、おそれられたでしょう。なぜってその当時、未婚の女性が子を産むなどとは許されるべきことではなかったからです。

ですからマリア様は、最初天使のことばに抵抗したのでした。

「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と。(同1・34)けれど彼女は、神にお出来にならないことはないとの天使のことばに、「わたしは主のはしため。おことばどおりになりますように」と応えました。(同1・38)

あまりに有名なこのシーンにすっかり慣れてしまってあたりまえのように見たり聞いたりしてたわたしは、ある時、この、「おことばどおりになりますように」が、どんなに勇気にあふれた、神のみことばへの受け入れであるかに気づいたとき、からだの震えるような感動を覚えたのでした。

わたしだったらーーなんておこがましい想像ですが、何と応えたでしょうか?

「とんでもない!そんなことが起こったら私は世間の笑いもの、つまはじきにされてしまいます。絶対に困ります」などと辞退?するのではないでしょうか。

神の呼びかけに「はい」と答えて従うこと、すべてはそこから始まるのだと・・・そしてそれは神がさせてくださるのだと、クリスマスのドラマの一番最初のシーンは告げ知らせてくれます。

2016年12月19日の心の糧

クリスマスに学ぶ

シスター渡辺 和子

今日の心の糧イメージ クリスマスの心、それは、愛する心です。愛する時、人は、相手と心も体も1つになりたいと願います。その人と同じ世界に身を置いて、相手の喜びも悲しみも、分かち合いたいと思うものです。

人間が神に対しておかした不従順の罪をあがなうために、神は天の高みから、「赦す」と一言仰れば、それで事足りたのです。でも、神は、そうなさいませんでした。人間への神の愛は、ご自分の「御独り子を賜うほどに」(参:ヨハネ3・16)限りなく深く、その方法も絶妙だったのです。

無限の神に対しておかされた罪は、有限の人間の力ではあがないきれないものであり、さりとて、人間がおかした罪でしたから、人間によって償われなければなりませんでした。

神の愛の絶妙さは、真の神でありながら、真の人である御子をこの世に、それも幼子として送り、人間の不従順の罪を、御子の十字架上での死までの従順で、完全にあがなってくださったことで表されました。

イエス・キリストはかくて、インマヌエル、共にいる神としてこの世に生まれ、生き、死んでくださいました。人間を愛するあまり、苦楽をともにしたいと願われたのです。

災害、苦しみ、貧しさの中にある人たちに、物資、義援金を送ることもさることながら、幼子の降誕を祝うのに一番ふさわしい心は、かくて、「痛みを伴う愛の心」ではないでしょうか。自分の毎日の生活の中に否応なく入り込んでくる小さな痛み、苦しみをしっかりと、両手でいただくのです。そうすることで、いっときでもいい、苦しむ人、愛に飢え渇いている人の世界に身を置く「痛む愛」こそは、クリスマスを迎える最適の愛の心であり、十字架につくために生まれ給う幼子への、最高のプレゼントであるに違いありません。


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