クリスマスシーズンの街をきらびやかに彩るイルミネーションは商業的な面もあるかもしれませんが、家に帰る夜道の途中で、とある家の庭に点滅するクリスマスツリーの灯りを見る時、〈私達は大人になっても、クリスマスの夢を見たいと願っている〉ということを感じます。
確かに、本物のサンタクロースを実際に見た人はいないと思いますが、夜になり、子どもの私が、布団に入って眠りについた後、両親がそっと枕もとにプレゼントを置いたその心の中に、サンタクロースは存在すると思うのです。
今からおよそ2千年前、ベツレヘムの馬小屋でマリアは幼な子イエスを産みました。幼な子が生まれる前、貧しい羊飼い達が火にあたりながら仰いだ夜空の星々は、何か大事なことを知らせるように瞬きましたーー。天におられる神様の姿は、目に見えるわけでも、声が聞こえるわけでもありませんが、私達1人ひとりを、親のような言葉にならぬ思いで見守っています。イエスが誕生するクリスマスの夜には、そんな天から私達へのメッセージが込められているのでしょう。そう考えると、私が今、ここに存在して生きている日々自体が、天から与えられた贈りものであるーーという深い歓びが、心に湧いてくるのです。
その決心がゆるぎのないものとしてヨゼフさまの心身を貫いたのが、イエズスさまご誕生のときではなかったかと私は推察する。
ご誕生になったイエズスさまを、ヨゼフさまは肉眼とともに、心眼でご覧になったと思われる。きっとご誕生の瞬間から、イエズスさまの御姿は神々しかったにちがいない。
人間のヨゼフさまが、神さまの御子であるイエズスさまに接し、その神々しさに打たれ、恐れを抱いたかもしれないと思う。
ヨゼフさまは自分が選ばれた人となったことを、ご誕生の瞬間から強く感じられ、自分の一生をかけてこの聖母子のために尽くさなければと、肝に命じたのだと思う。
聖書にはヨゼフさまの記述は少ない。
少ないからこそ、私はいろいろと想像する。
ヨゼフさまはマリアさまよりうんと年上であったらしい。だからこそ、うんうんとすべてを受け入れ、終生変わらぬ心やさしい保護者であった。イエズスさまご誕生後、夢で天からの警告を受けて、ヘロデ王の手から逃れるために、聖母子を連れてエジプトへ行き、ヘロデ王亡きあと、イスラエルに戻って来た。その後、ガリラヤに引き、ナザレに落ち着かれた。めまぐるしいご苦労を支えたのは、ヨゼフさまの心眼だったと思えるのである。