
学校教育の一環として行われていることで、参加する子どもたちも、普段の他教科の授業と同じように、ただ受け身的に参加しているところもあったとは思いますが、そういう機会を通して、確かに何人かの子どもたちは、机上での勉強からは学べない大切な人生の教訓を得、他者との真の関わりと将来の道を模索していくのだと思います。
現在、「文化交流」や「親善」の目的で友好都市の関係を結び、地域社会でも積極的な絆を築く動きが見られますが、単に地域の活性化につなげるだけではなく、人と人との心の交わり、主キリストが教えられる、他者を「いつくしむ」心を育むきっかけになればと私は願っています。

幼友達とは親世代が知り合っていたり、家が近所だったりして自分が意識する以前から用意されていた友です。学友、級友、寮友、社友などは子供から大人へと成長していく場で出会い、知己となる存在です。盟友、戦友となると出会いは偶然であっても、運命共同体のような体験をする事により、特別な忘れられない存在となります。現在も固い友情で結ばれているのが親友、現在は疎遠になっていても懐かしい想い出の中で生き続けているのが旧友です。尊敬や感謝をこめ畏友と云うこともあるでしょう。そんな色々な結びつきの種類を持つのが友達なのです。自分にとって善い存在も悪い存在も居るでしょうが、悪友と呼ぶ相手でさえ懐かしさを覚えるものです。
この様に友について考えるなら、友好の意味がはっきりしてきました。例え苦手な相手でも、片目をつむり、相手のよい所を探して、仲良く出来そうな所から、つきあいを始めるのです。何も親友になろうとしなくても、偶然の縁に感謝して友達づきあいを始める事、即ち常に友好的な態度で居る事です。友好の連鎖から平和が築かれるのだと気付きました。