18歳で親もとを巣立つまで、沢山の耳学問をしたと思う。本などでは学べないことを実体験した人の口から直接きけたのである。
何と贅沢な18年間であったろう。
あれから約50年が経つが、五島で学んだ耳学問を全部語ったということはない。
汲めども汲めども尽きないわき水のように、次から次に語るべきものを思い出す。
それも60歳をすぎた頃からますます、ああ、あれも人にいっておかなければ、これもいっておかなければと次々に思い浮かぶのである。老いて静かに沈黙を守ることなど、根っからのおしゃべりの私には出来ない。
今、私が特に力を込めてしゃべるのが、断片的にきかされた戦争中の生活である。
父の戦地体験をはじめ、内地での食料不足、日用品の不足等の話である。
私は敗戦の翌年生まれなので、実際の戦時中のことは経験していない。しかし、私の長兄や長姉ははっきりと戦時中のことを記憶している。だから、記憶している私より年上の人たちは老いてなお、戦争がいかに悲惨なものであるか語り続けて欲しい。それが戦争を体験した人の残された仕事だと思う。それを一番望まれているのが、人類の平和を願う神さまだと思うから。