▲をクリックすると音声で聞こえます。

求める

高見 三明 大司教

今日の心の糧イメージ

旧約聖書の中に詩編と呼ばれる150編の祈りがあります。神に感謝し、神に賛美をささげ、神に信頼をよせる祈りなどさまざまな祈りがある中で、四割に当たる60ほどの詩が、神にお願いごとをする嘆願の祈りです。このことは、いつの時代にも人間は喜びと同じくらい悲しみや苦しみを体験し、そのために助けや救いや解放を祈り求めることが多いのだという現実を反映していると思います。もっとも、神に向かって願い求めることは大切なことで、むしろ人間はもっと真剣に神に祈り求めるべきではないでしょうか。人間は所詮、脆く、力にも能力にも限界があり、失敗もし、ほかの人の助けや協力を必要としているからです。

ところで、わたしたちは神様には熱心に祈り求めますが、ほかの人には要求はしても、その要求するほどに自分はほかの人に応えていないのではないでしょうか。キリストが語ったたとえの一つに、家来たちに貸したお金の決済をする王様の話があります。

ある家来が、王様に、自分の家族も全財産も売り払わなければならないほどの借金をしていました。しかし、その家来が、「必ず返済しますから待ってください」と王様に乞い願うと、王様はあわれに思って借金を帳消しにします。ところが、この家来はその後、自分にわずかな借金をしている仲間に会うと、首をしめて「借金を返せ」と迫り、「返済するので待って欲しい」と乞い求められたにもかかわらず、牢に入れてしまいます。結局、この悪い家来は王様によって牢に入れられることになりました。(マタイ18・23〜31)「人にしてもらいたいと思うことは何でも、人にすること」(マタイ7・12】が大切です。ほかの人に求めることを、自分もほかの人にしてあげることができれば、幸いだと思います。