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クリスマスとは

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

私は2012年の8月、2度目の聖地イスラエル巡礼をしました。そのとき、初めてベトレヘムの聖誕教会でごミサを捧げることができました。すばらしい経験でした。約30年前にはベトレヘムの羊飼いの丘の教会で、多くの国々からいらしていた外国の信者の方々の前で日本語のミサを捧げたことを想い出しました。

さて、クリスマスには、救い主誕生のメッセージが、天使たちによって、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに告げられました。「恐れるな。わたしは、人類全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。あなたがたは、ベトレヘムのもうひとつの丘で、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2・10〜12)と、神は、わたしたち人間を救い、永遠のいのちにあずからせるために、御子イエスを救い主としてお与えになりました。

ですから、私たちが、もし人となられた御子イエスを救い主キリストと信じ、主の憐れみを祈りながら、おのれの分に応じて、人事を尽くすならば、現世においても来世においても、必ず救われると信じています。

私はこれまで大小、さまざまな苦しみや試練を経験してきました。そんな時は、新約聖書の「ヤコブの手紙」に、「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。」(5・13)とあるように、よく祈りました。すると、何らかの形で、救われたという喜びを感じることができました。が、キリストはこうも言われました。

「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、あなたがたにできないことは何もない」と。(参:マタイ17・20)