「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。

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隣人愛

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 マタイによる福音書22章には、「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、そして「隣人を自分のように愛しなさい」という主イエスの言葉が記されている。

 この「隣人を愛しなさい」という言葉は、強い印象と同時に(かす)かな疑問を心に残す。私たちの日常において、隣人とは、単に隣りの家に住んでいる人のことだからである。

 幸いなことに、ルカによる福音書10章には、私たちにとって「隣人は誰であるか」が明らかにされている。

 或る時、道端に、強盗に襲われた人が重傷を負って倒れていた。祭司とレビ(びと)が通ったが、怪我人を避けて行った。二人とも尊い職にあって敬われている人たちだったが、その本分を遂行することはなかったのである。

 次に来たサマリア人の旅人がその人を気の毒に思い、介抱して、宿屋に泊まらせ、回復するまでの費用を払ってやった。怪我をした人の善き隣人となったのは、三人のうちの誰であろうか。

 このたとえ話のくだりが興味深いのは、「自分にとって、愛すべき隣人とは誰のことか」と問われた時、「善き隣人たり得たのがサマリア人だと思うなら、あなたもそのようにせよ」とイエスが答えているところだ。
 つまり、隣人愛においては、誰を助けるかなど限定せず、自分が善き隣人、すなわち助け手であるよう努めよ、と教えられたように思えるのである。

 現在、一部の国では、善意の救助をした人を守る、「善きサマリア人法」という法律が制定されている。人間には隣人愛があることを信じたよき法律だと思う。ささやかでも善き助け手でありたい。私たちはすべて隣り合った者同士だから。

 国家も民族も、そして人間と自然の生き物も。