

六十代にもなるといつの間にか職場では最年長。びっくりしていたら他のスタッフが「五十代が殆どであまり変わりはないよ。」と励ましてくれた。ああ~そうなのかとホッとしたのも束の間、「シスター、七十迄は働かんばね。」と言われる。それで再度びっくり。
六十で退職と思っていたが、現実は難しいようだ。体も頭もだんだん回らなくなり自信喪失もある。悔しい反面、本当はこれが現実だと思い直す。今まで当たり前のように思っていたことがそうでなくなると、今度は頭を下げてお願いをするという謙虚さを求められる。
傲慢だった自分を見直すいい機会になる。出来ていたことが出来なくなるって、ある意味神様がなって欲しい人間になるってことだろう。神様は傲慢な人間より謙虚なあるがままの私で生きてほしいと願っている。と思う。
私にとって「あるがまま」と「ありのまま」は違う。あるがままは、「神様がお望みの人間になる。」という事。ありのままは、「罪も弱さも持ったままの私」という人間である。神様は、このありのままの自分を各自見つめ直して神様がなってほしいあるがままの私の成長を待っていらっしゃる。と思う。
この識別ができるようになると、ずいぶん違った人生を送れる気がする。わがままの自己中の私を捨てて、神様の望む私になる。という目的を知るからだと思う。
それこそ頭ではわかっていても、体がついてこない時もある。心が決まらずジレンマに遭い、右往左往ばかりして前に進まない時もある。自分の弱さと戦う時は特にそうだ。肉体に引っ張られない精神的強さを保つために、少しずつでも祈りを深め神様との親しさを求めて生きたい。
神様の望む私の完成が、天国に呼ばれるまでには間に合いますように。