

詩人の交流で韓国を訪れた時、韓国の詩人から「日本人は粘土ですね」と言われたことがある。一人ひとりが勝手なことをせず、力を合わせ一丸となって向かってくるから、敵わないという意味だった。
「韓国人は優秀な能力を持っていても、皆思い思いに動く小石の集まりですから、大きな力にはならないんですよ」とのことだった。
考えてみれば昔から、日本人は同一性、均質性を重んじて集団を作る傾向があったようだ。同じ価値観を持ち、同じ行動を取ることで、一つの粘土に溶け合ってきたのである。
そんな特性を持つ私たちだが、今、社会に新たな窓を開くように、「多様性を受け入れる社会」を唱えている。
様々な国籍、性別、年齢、障がい、疾病、価値観などを個性として尊重するということ、マイノリティの立場にある人々を無視せず、すべての人の人権を尊重する社会を作るという理想であり、現実的な人権施策でもある。
多様性を受け入れる社会が実現したら、人はどれほど生きやすく幸福になるだろうか。なぜなら、そこには出会いとよき人間理解があるからだ。
自分と異質な存在には、人間は警戒心を抱き、敵であるように感じるものだ。だが、幾らかのコミュニケーションを取り、相手の情報が入ってくるに従って、敵ではなく、ただ異なる個性を持った存在にすぎないことがわかってくる。
未知なるもの、異なる他者との出会いほど豊かな収穫はない。それは世界との出会いなのである。自分と同質の友人だけで完結する日常の何と狭いことか。
好意を持って他者を理解していきたい。一人の他者への理解が人間への深い理解につながる。
困難だが、不可能ではない幸福への道だと思われる。