

私たちの周りにはさまざまな「違い」を持つ人たちがいます。
人種や性別、個人の特性だけでなく、考え方や感じ方も、一人ひとり異なります。家族や教会、同じグループにおいても誰一人同じ人はいません。
このように多様性とは私たちのなかに「違い」があると認めることから始まるのだと思います。
私には、聴覚と知的に障がいを持つ叔父がいました。生まれつき耳が聴こえず「ことば」を発することができませんでした。また、知的にも障がいがあったので、手話をすることもできませんでした。それでも、「ことば」にならないことばで、コミュニケーションを取るには十分でした。
叔父は、自転車修理の仕事をしていました。自転車のことといえば叔父がいつも面倒をみてくれていました。たとえことばがなくても、私にとって叔父はスーパーマンのような存在でした。
しかし、小学生のある日、下校途中に叔父と出会いました。叔父は「ことば」にならないことばでいつものように声をかけてくれましたが、一緒にいた友人に「知っているひと?」と聞かれ、私は、なんだか恥ずかしくなって、とっさに「ううん、知らないひと」と言い、足早にその場を去ってしまいました。取り残された叔父の寂しそうな顔は今でも忘れられません。
それから時は流れ、叔父が亡くなり、告別式には職場や地域のひとも多く駆けつけてくださいました。叔父は誰とでも隔てなく明るく関わってきたのだと思います。うれしく思うと同時に、「違い」を認められなかったのは私だったと気づきました。
もし、いま同じ場面に立つことができるなら「私の叔父です」と胸を張って言えるでしょうか。
あのときの叔父の悲しい顔を、二度と繰り返さないために。