

私が五島に帰った時、必ず寄せていただく場所は、幼い頃、カトリックの教えを受けた教え方さまの家であった。
教え方さまは晩年、足が不自由になり、一人暮らしであったが、いつも朗らかな声で「美沙ちゃん、よう来たね」と迎えてくれた。
教え方さまはいくつになっても前向きであった。
「私はね、もう自分が出来んごとなったことは悔まんごとしとっとよ。そのかわり、今自分のできることば指ば折って数えるとよ。それが10本の指が全部折れると、にっこりするとよ」
「人間はさ、いくら年ばとっても、身体が動かんごとなっても出来ることがあるとよ。それはね、祈ること。祈れば神さまに通じるけんね。誰かが病気しとるとば聞けば祈り、誰かの孫が受験ち聞けば祈り、祈ることはいっぱいあるけん、結構忙しかとよ」と言って明るく笑った。
私の母も91歳まで生きたが、晩年は祈りを一手に引き受けて、それを仕事としていた。
母は働き者で世話好き。どの人もこの人も我が家を訪ねて来る人たちはどんな人も、すべて引き受けていた。
我家はもちろんのこと、困った人たちに対し、その人たちの労苦を母なりに精一杯担ってあげていた。
「母ちゃん、たいへんじゃね、人の世話ばっかりして・・・」と私がねぎらいの言葉をかけると、
「なんのなんの、イエス様がカルワリオの丘まで、重たか十字架ば担がされたことば思えば、たやすいことたいね」と応えた。
「祈りは場所も道具もいらんけん、年寄りには一番向いとっとよ」と言って、晩年は祈りの担い手として神様と対話していた。