歓迎する

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 まともな人間なら、自分に敵愾心を持つ人を歓迎したり、見ず知らずの人を、突然、歓迎することは考えられません。歓迎できる人とは、だれか?

 親しい間柄から、順にみますと、親族、友人、知人、恩人の順になるのではないでしょうか。そこにみられる人間関係の機微、趣き、味わいは、それぞれ、重く、深く、人生の何よりの宝と言っても過言ではありません。そこには、愛情、友情、それに、一貫した感謝の念もみなぎっています。親族と友人、知人、それに恩人との人間関係をそれぞれ観察しますと、次第に親しさ、親密さは薄らいでいきますが、礼節を尊び、礼儀をわきまえなければならない間柄は次第に深まっていきます。

 親族同士や親しい友人や知人との間柄なら、久しぶりの再会の挨拶も、視線を合わせ、目配せだけで済ませることもできますが、これが敬意を払うべき知人や上司、恩人となりますと、そうは、いきません。まずは、そばに近づき、丁重な挨拶を交わすのが当然の尽くすべきマナーであり、礼儀であります。ときには抱擁し合い、背中を叩き合い、親密の情をあらわにすることも少なくありません。このとき、挨拶とともに、相手を褒め称える賞賛の言葉や尊敬の念も表明できれば、尚一層、喜ばしく、大いに助長されるべきことであります。これによって、人間関係は一段と深まり、友情も疑いなく、深まり、確固たるものになります。

 一方、上司の方からは、笑みとともに相手を親しく抱擁し、互いに背中を叩き合える仲になれば、両者の親愛の情は、一段深まり、これまた、確固たるものになったあかしであり、証左であります。

歓迎する

中井 俊已

今日の心の糧イメージ

 多くのカトリック教会は、昼間、門を開放しています。いつでも誰でも、祈るために聖堂に入ることができるためです。

 私も教会の近くを通るときには、少しの時間でも立ち寄るようにしています。すると、誰かが祈っていることがありますし、私がいるときに人がやってくることもあります。

 先日、東京のカトリック麹町教会で祈っていた時のことです。やや太りぎみで白髪の男性が背後からやってきて、私のいた場所の斜め前の席で静かに黙想を始めました。

 どこかで見たことがある人だな、誰だったかなと思いつつ、15分ほど過ぎた頃でしょうか。一人の女性が後ろからきて、その男性にささやきかけました。「先生、時間です」というように聞こえました。

 男性は振り返って立ち上がると、教会の一番後ろに立っておじぎをした若い男性の方に歩いていきました。その時、はっきり顔が見えたのですが、白髪の男性は、「ひふみん」、棋士の加藤一二三さんでした。加藤さんの所属教会はカトリック麹町教会で、結婚講座を受け持っていると聞いたことがあります。たぶん講座までの時間を祈って待っておられたのでしょう。

 教会に行くと、こんなふうに有名人と出会えることは、まずありません。ただ、世界で最も有名で、最も素晴らしい方がいつも私たちを待っていてくださいます。

 教会の祭壇の奥には聖櫃があり、その中にはイエス・キリストのご聖体が安置されているのです。そこでイエス・キリストは私たちがやってくるのをずっと待っていてくださいます。そうして、放蕩息子の父親が両手を広げ抱きしめて、わが子を迎え入れたように、私たちを優しく歓迎してくださるのです。


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