歓迎する

遠藤 政樹

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 2019年、元号が「平成」から「令和」に変わりました。

 私たちは、令和をどんな気持ちで迎えたのでしょうか。

 私は昭和・平成・令和の時代と、70年近く生きてきて、その元号の文字が「和・平」、そして「平・和」とつながっていることを心から歓迎しています。

 どの国も国交を回復して、人類の平和を一緒に考える最後のチャンスかもしれません。そして、小さなことを大切に大切にと育くんでいる人にこそ、幸せが訪れる社会にならないといけないと思います。

 さて、最近私の気持ちに大きな変化が起こっています。それは、今住んでいる京都が自分の故郷に思えてきていることです。

 もちろん、私が生まれた自然と人情に溢れた新潟県三条市も大好きで、今も忘れる事はありません。

 私が生まれて育ち、高校時代までを過ごした故郷新潟、そして、大人になって、神父様やシスターの方々との出会いによって大きな影響を受け、また、祈りの音楽によって信仰へと導かれていった広島。

 しかし、長年、信仰と音楽を通して、職場や教会、そして、合唱団の方々に温かく迎えられた京都で、出会ったそれらの人々との絆が私を成長させ、私の心の中に自然と「故郷」としての思いが生まれてきたのだと思います。もう一つは、母が通った大学の地でもあるからだと思います。

 令和元年になってから、5月には聖家族をたたえるミサ曲を、6月にはキリストの誕生を歓迎するモテット、8月6日の平和祈願ミサではレクイエムを私は指揮しました。いずれの演奏会も、合唱団員のハーモニーと会場の人たちの心が一つになり、神に捧げる素晴らしい魂の祈りとなりました。

 振り返れば京都に来て47年、今、心から歓迎されているという喜びを味わっています。

歓迎する

松浦 信行 神父

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 もう30年ぐらい前のことでしょうか、神父に成り立ての私は先輩に頼まれて、都心のマンションに一人暮らしの熟年の方を訪ねていきました。とっても気の良い女性の方で、私を歓迎してくださいました。

 生計を立てるために生命保険のセールスを長年やっていたとのことで、話題が本当に豊富でした。また趣味で茶道をたしなんでおられ、しゃきっとした姿勢が印象的でした。

 その後、一月に一度訪ねることとなり、昼前に行って、小一時間ほど世間話をし、お昼をご馳走になり、午後からまた会話を楽しむといった具合で、退屈しませんでした。

 あるとき、「松浦さんは、これから海外に行くことがあると思うので、日本の文化、お茶をたしなむ必要がありそうよ」とお盆に茶器をのせて行う簡単な作法があることを話してくれました。

 それで私も、「お茶のこころって何ですか」と聞くと、「松浦さんちょっと」と私を玄関に連れて行くのです。

 玄関で何するのだろうと思っていると、私の靴の脱ぎ方を見て、「松浦さんの靴の脱ぎ方は、ちゃんと次に来るかもしれない人のために空けているから及第」、そして「お茶のこころは、おもてなしのこころよ」と言うのです。

 お茶は、静かに座って、飲むと言った外面的なことに現れる作法だけでなく、その人の心が、生活の中に現れることだと言い、その女性は靴の脱ぎ方で教えてくれたのです。

 それ以降、靴の脱ぎ方はもちろんのこと、人と会話をするときには、人の目を見て、丁寧に、会話するようになりました。

 当時その方に伺った、いろいろな話も記憶に新しく、その女性との出会いによって培われたお茶の心、おもてなしの心は今も私の内に生きています。


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