スタートとゴールは、対句、切り離せません。スタートあってのゴールであり、ゴールあってのスタート。
新年のスタートにあたり、そのゴールは、どこにあるのか、どこにすべきかを熟慮し、ゴールにひたすら焦点を合わせ、本気でヤル気いっぱい邁進できれば、ラッキーです。
" 前途洋々、ひたすら前に " この希望に満ちたキャッチ フレーズを掲げ、前へ進め!前進、前進、また前進!堂々の前進を ひるまず続けることができれば、超ラッキー、万々歳です。
"ひたすら前に" のモットーは、"負けてはならじ" "追いつけ、追い越せ" の意気込みと競争心が共存しています。
"ひたすら前に" のモットーにふさわしく、スタートラインには、当然のことながら、まっしぐらに走れるコースが手抜かりなく設けられていなければなりません。安全なコース無くして、"ひたすら前に" ということは、ゆるされませんし、有り得ません。
それにもかかわらず、多くの場合、安全コースの願望は満たされず、スタート眼前、山あり、谷あり。ときには、危険な崖ぶちの 凸凹坂道、ときには、眼前、岩壁に直面、前途を閉ざされてしまう事態も想像されます。いずれにせよ、めげず、ひるまず、あらゆる難関を突破、目的達成まで、ひたすら前に進むのみです。
"ひたすら前に" と "負けてはならじ" 、この二つの対句は、忍耐力と競争心を意味します。そこでは、弱気や下手な思いやりは禁物。ひたすら " 追い越せ、追い抜け"の片意地も、必要であります。このようにして、つつがなく、突き進めれば、願ったり叶ったり。"万万歳"であります。
新しい年になると、今年はどんな年にしようかと、元旦のミサに与りながら祈る。み旨に従って、どんなに困難があってもひたすら前に進もうと決心する。
新年、私はよく母のアルバムを見ることがある。そこには祖父母、二人の娘の姿が写っている。祖母は、二人の娘におそろいの洋服を縫って着せていた。ある写真は、おそろいのケープに二輪のバラを襟元にあしらった洋服を着ていた。バラも手縫い、洋服も手縫いだった。祖母はよく洋画を見て、素敵な洋服を見るとさっと記憶して、二人の娘に着せようとしたようだ。
祖母は、12歳で母親と死に別れたので、自分が失った母親との時間を埋め尽くすように、家庭にいつもいて、ひたすら働いた。最初は娘たちが12歳になるまでは生きたい、できるなら、娘たちが成人するまで生きたいと、願っていた。
娘二人が結婚し、孫ができると着物やおもちゃを作って喜ばせ、一段落した頃、祖母は崩れ落ちるように心臓発作で寝たきりになり、医者に行く以外はほとんど外に出ることもなく、20年近く病床で過ごした。
不思議だったのは、祖母が寝たきりになっても、時々、思いがけない人が訪ねてきたことだ。遠い親戚に、おじいさんと男の子が二人で暮らしていた。おじいさんが亡くなった時、祖母はすぐに出かけていって、葬儀を出し、天外孤独になった男の子にお小遣いを握らせて別れたという。それ以上、祖母は何もできなかったそうだが、男の子の幸せを願いながら別れた。
その人が立派な家庭をもって奥さんと一緒に訪ねてきたのだ。祖母はすっかり忘れていた人が訪ねてきて驚いていた。祖母が家庭ばかりに目を向けずに、悲しむ人にも寄り添って生きたことを、私は心から嬉しく思っている。