私事ではありますが、若い時には、何事に対しても、ひたすら突き進んでいたように思います。次々とやって来る新しい奉仕に対しても、どんどんチャレンジし続けることが多かったように思います。失敗も数多くあったことと思いますが、とにかくひたすら前に進んでいました。
ところが、歳を重ねるにつれて、過去の失敗の経験の記憶に引きずられて、だんだんと億劫になり、新しい一歩を踏み出すことがなかなか難しくなってきました。新しい奉仕や、新しい住環境など、適応していくのに時間がかかるようになったのです。
ところで、イエスという方は、何事に対しても、ひたすら前に進まれる方だったようです。それが、十字架上での死に至る道であったとしても、です。
聖書は次のように伝えます。「一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。」(マルコ10・32)
エルサレムへの道は、十字架への道です。それにもかかわらず、イエスさまは先頭を切って、ひたすら前に向かわれます。そこには何の躊躇もみられません。
進んで行く先に、苦難や困難があったとしても、ひたすら前へとイエスさまは進まれました。そこには、神さまがいつも共にいてくださる、という意識や、何事があっても、神さまが必ず助けてくださるという強い信頼があったのではないかと推測します。これらは、ひたすら前に進むイエスさまの力強い支えだったことでしょう。
ところで新しい年を迎え、私たちは新たな一歩を踏み出します。たとえ苦難や困難が目前に立ちはだかっていても、イエスさまが持ち続けていた神さまへの信頼の心をしっかり携えて、新しい年を歩んでいきたいものです。
朝、目が覚めると、「ああ、生かされていた」と神様に対し感謝の念が湧き起こる。
特に、前夜ひどいめまいなどがしていた時には尚更、ありがたいなと思う。
週の立ち上がりの日の月曜日には、よし、今週も頑張ろうと自分を励ます。
月の一日目にもそう思う。
年の初めにはましてやである。
昨日と何も変わらないはずなのに、なぜかお正月には、新鮮な空気が漂っているような気がするのは不思議である。
なぜだろうか。
数日前から大掃除をしたせいかもしれないが、そういう物理的なものではなく、やはり心が新しく生まれ変わったような気がする。
「さあ、今年も精一杯生きよう」という気持ちがいっぱい。
5年前に大腸ガンの手術をし、5年経過した検査の結果、無事、卒業といわれた。
その時にも、自分が新しく生まれ変わったような気がして、飛び上がりたいほどの嬉しさだった。
ガンを克服すべく、主治医のいいつけを忠実に守った5年間であった。
ただひたすら前を向いて、神さまに祈りながら日々を過ごした。
再発や転移の恐怖におびえた日々もあったが、人間の生き死には自分では決められない。すべて神さま任せと自分にいいきかせた。
この5年の間に夫の従妹が肺ガンで、夫の弟の妻も肺ガンで、実弟が悪性リンパ腫で天にめされた。友人知人は数えきれないくらい。
亡くなった人たちは闘病中、精一杯、前を向いて頑張っていたことを知っている。
私は何とか生かされた。
残りの人生、亡くなった人の分までも、毎日新しい心で、精一杯生きていきたい。