ひたすら前に

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 令和元年は5月1日から始まりました。

 この日、私は金沢の21世紀美術館に居ました。令和のスタートを祝って開催する「創造者たち―平成を駆け令和に羽ばたく芸術家―」という展覧会の初日で、レセプションに出席するため朝早く家を出て、冷たい雨の中、到着しました。会場は洋画、日本画、書道、写真、彫刻といった従来通りの展示に始まり造形芸術としてアートフラワー、デザイン小物、シャドーボックス、パッチワーク、デジタルアートなどカタカナ表記の平成生まれのジャンルが加わり活気にあふれていました。

 作品には同時に作者のメッセージが展示されましたが、ほとんどが「平成の30年間は度々自然災害に見舞われ、世界各地で紛争が勃発し不安が広がった」と総括し、令和を迎え気持ちを切り替えて、ひたすら前へ進む決意を各自の表現で語っていました。

 レセプション会場では40代50代の若い作家も多く、年の功で私がスピーチをしたせいか積極的に自己紹介なさる方々から名刺を沢山頂きました。若い方の名刺は必ずと言って良いほどQRコード付きで、思わず時代を感じました。

 そして、時間は一瞬の停止もなく前へと進んでいます。

 振り返れば、夏の異常な暑さや台風による豪雨の被害など多くの困難を経験し、オリンピック開催を控え、東京を中心に工事による不自由な状況も続きます。かつては復旧復興が先で、見通しが立ってから一歩前へでたのが、現在は何が起きてもひたすら前へと突き進み、困難が生じても巻き込んで前進します。

 強者も弱者も情報を共有することで互いを思いやり、状況を理解し共生できる社会が近づいたと考えるのは、楽観し過ぎでしょうか。

ひたすら前に

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 わたしたちは、欲するか否かに関係なく、たくさんの人々の中で生活しています。また、そうすることによって、お互いの成長のためにも大きなプラスになっているのです。一人ひとりが、人としての成熟のために、必然的なことであると言えるのではないでしょうか。

 思い起こせば、わたしは、若い頃は人前に出て行くのが、とても苦手だったなということを思い出します。小学生の頃から、みなの前で何かをさせられるのが、嫌でしょうがありませんでした。特に嫌だったのが、みなの前で歌を歌わせられることでした。なんで自分が指名されるんだろうと、音楽の時間になると先生と目が合わないようにしていた記憶があります。

 こうした傾向は、そうそう簡単になくなるものではなく、大学生になってもなくならず、このままでは司祭になって奉仕するなんてありえないな、と思うようになりました。なんといっても、人前で話をするなんて、当時としては考えられないことです。

 そこで取り組んだのです。自意識過剰になることが、人前で嫌になる原因ではないかと考え、だったら、日頃から自意識することに慣れていったらどうだろうと、浅はかな訓練に挑戦したのです。それは「歩く」ということでした。足を交互に前後して歩いている「自分」を意識してみるんです。そうしたら、「バカみたいなことをしているな」と思っている自分に気づくんですね。

 その後、多くの体験を重ねて、人前で何かをすることが、少しずつではありますが、できるようになってきたのです。

 まさに、人の間にあって変えられていったのでした。「ひたすら前に」それは、自分の居場所の確認ではないでしょうか。


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