ひたすら前に

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 マザー・テレサはよく、「わたしは、神様の手の中の小さな鉛筆に過ぎません」と言っていた。彼女の人生という一枚の素晴らしい絵は、彼女という鉛筆を使って、神様が描いたものだというのだ。彼女はただ、神のみ旨のままに線を描き続けたに過ぎない。そのように生きているとときに、「なぜこんな線を引くのだろう」と思うことがあるかもしれない。だが、神のみ旨のままに描いていれば間違いはない。いつか天国から神様と一緒に完成した絵を見るとき、わたしたちは全ての線が完璧に引かれていることに気づくだろう。

 そんな話をしていたとき、ある子がこんなことを言った。「わたしの絵の先生は、間違った線を引いてもすぐ消すなと言います。描き続けて、絵の一部にしてしまえばいいんだって」。その言葉を聞いてわたしは深く感動した。

 わたしたちはときに、神の思いを離れ、自分勝手に間違った線を引いてしまうことがある。だが、それでも諦めたり、自暴自棄になったりする必要はない。最後まで描き続ければ、神様はその間違った線さえ、美しい絵の一部にしてしまうことができる方なのだ。むしろ、その線が、絵に更なる深みを与えるかもしれない。子どもの言葉を聞いたとき、わたしはそう思ったのだ。

 若い頃に子どもを放置して死なせてしまった女性が、刑を終えたあと、数十年、学校の給食係として働いていた。冬の日も、夏の日も、調理場で子どもたちのために給食を作り続けたのだ。彼女が若くして癌で亡くなったとき、子どもたちはみな泣いた。彼女の人生は、全体として見たとき一枚の美しい絵だったと思う。大切なのは、間違いを犯しても諦めないことだ。神のみ旨のままに、人生の絵を描き続けたい。

ひたすら前に

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 ひたすら前に進むことが社会では素晴らしいこととされている。

 スポーツの試合はそれでいいだろう。短時間で勝負を決めるのだから失敗したらすぐに切り替えなければ負けてしまう。しかし、人が日常的に感じる悲しみや驚き、感動、または辛い思いについてもそれほど簡単に切り替えていいものだろうか。あれも、これもこの日までに終えなくてはならないからぐずぐずしていられない!とひたすら前に進もうとすると、いろいろな自分の気持ちをパソコンのゴミ箱にいれるように削除することになる。

 立ち止まらず、ひたすら前に...というやり方は、人間という繊細で神秘的な生き物には危険な方法ではないだろうか。

 気持ちを無視し続けると心に不調和がおきる。長期の病気になるなどして神さまが停止信号を送ってくださることもある。

 「ちょっと休みたい。雲が流れる空の美しさをゆっくり眺めていたい」、「私が感じていることを聞いてほしい」などと心が叫んでいるのだ。だが私自身、受験戦争をくぐり抜け、競争して大人になったので、この価値観にからめとられていることがある。

 だから、「最近、満たされた気持ちになっていないな」とか「夫がこの頃、笑わないわ」と気づくと急ブレーキをかける。仕事のスピードを落とし、高望みをやめ、自分に無理強いしていることから手を離す。ひたすら前に進むのをやめると緊張がほぐれて時がゆったり流れる。夫とテレビを見ていても、時間がもったいないと思わず、楽しくなる。いのちが息を吹き返したのだ。

 見える成果にではなく、心の時間軸に合わせると人間らしく前に進めるのではないかと思う。


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