ひたすら前に

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

 「あんまりムリをなさらないようにね」

 よく転んでは骨折したり捻挫したりする、そそっかしい私をひとはこう言って労ってくださいます。

 労わるというよりは、牽制されているかもしれませんが。

 たえず前向きに行きましょう、まではいいのですが、一歩一歩をていねいに確実に、が抜けてしまい失敗するようです。

 それにつけても思い起こすのは聖路加国際病院の日野原重明先生の言葉です。

 「年をとったら過労死などないと思いなさい。遅かれ早かれ、いずれ死を迎えるのだから遠慮はいりません。無理していいんです。無理して頑張ろうじゃありませんか!」

 日野原先生は90歳を過ぎても現役でいらした方。

 朝、目覚めるとさすがに疲れが溜まっていて仕事に出かける気がしない。今日は休みたい、休もうと思っても時間になると病院に出かけ、仕事をされたそうです。いざ、一歩足を前に出すと気力で保つ。これが大事なのです。

 この先生のエピソードを聞いたか読んだりした時は、「あんなに穏やかで優しく、いつも私達を励ましてくださるクリスチャンの先生がこんなに激しいことを仰るとは」とびっくりしたものです。

 でも、けだし名言。ただ、むやみに頑張れ頑張れとハッパをかけているのではありません。先生の深い生死観、愛情に根ざした人生への洞察からあふれ出た、私達へのラブメッセージではないでしょうか。

 死を恐がることはないんだよ、死ねば私達は丸ごと神さまのものになるのですからと。

 聖パウロも言っていますね。患難につぐ患難の旅路の果てに「死ねばもうけもの」。でも、まだ神さまから委ねられた使命があるから頑張らなくては、と。

 「もうけもの」っていいですね。 嬉しくなります。

ひたすら前に

遠藤 政樹

今日の心の糧イメージ

 新しい年を迎えるたびに、平和を願っている人々に見守られながら今日まで幸せに過ごして来れたのだという事を、戦後生まれの私は忘れてはならないと、あらためて思います。そして、波乱万丈の人生の中でも決して希望を失う事なく、常に前へ前へと心を向けて歩んだ人が、「もう人間の仕業で不幸が生まれてはいけない」と祈る心への感謝を忘れないようにしています。

 間もなく70歳を迎える私は、人生の節目節目の日々を、色々な場所で幸せを感じながら過ごせて来ました。それは、他人の幸せを願って祈る人々の絶え間ない祈りが、私の人生の困難とは比べ物にならないほどの大きさで包み込んでくれていたからです。

 祈りと音楽を通して教鞭を執っていた時間、50年近くも続いている聖歌隊や、大学生、社会人の合唱団の人々と指揮者としてともに過ごす時の中で、わたし自身のひたすら前に向けて祈る心を、コーラスのハーモニーの中に、活かしていこうと思っています。

 カトリック教会には、典礼聖歌としてラテン語のグレゴリオ聖歌とモテット(合唱)と日本語の聖歌がありますが、教会の宝物であるラテン語の曲は、残念ながらほとんどの教会で歌われていません。しかし、それに代わる自国語の典礼聖歌は多く作曲されました。

 その中心となっておられたのが、作曲家であり合唱指揮者の、故・高田三郎先生です。高田先生はわたしの大好きな典礼聖歌の先生でもありました。次々に出来上がる新曲が楽しみだった日々が思い出されます。

 これからも、祈りの音楽が、心に広がる祈りのハーモニーとなって、平和を願うすべての人々に届きますように。


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