ひたすら前に

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ

 私たちの歩みは、前に向かってゆく歩みですね。学生時代に、一人で水の上を行く時は、ボートを漕ぐのではなく、カヌーを漕ぐ大切さについて教えていただいたことがあります。もちろんこれは教訓的な意味においてですが...。

 手漕ぎボートとカヌーの違い。根本的な違いは、ボートは進行方向に背を向けて漕ぐため、前を見ながら進むことはできません。誰かが一緒に乗って案内をしてくれないと真っすぐ進んだり、障害物を避けたりすることはできません。これに対し、カヌーは一人で前向きに漕いでゆきます。自分でバランスを取って障害物をよけ、パドルを操りながら、漕ぎながら、流れに乗って、時には流れに逆らいながら、少しづつ進んでゆく...。

 私たちの人生の歩みはカヌーでの歩みの様なのかも知れません。しっかりと前を向いて、少しづつ少しづつ前に向かって、目的地に向かって漕いで進んでゆく。そんなひたむきさがあるのでしょうね。

 ひたすらに前に向かって進んでゆこうとする私たちですが、時には大風が吹いて転覆しそうになったり、流されてしまったり、様々なことがあるでしょう。自分だけ独りぼっちと思える時であっても、見守っていて下さるお方がおられます。

 聖書の句を使った歌の中に「一羽の雀さえ、主は守り給う。」という御言葉があります。一羽の雀さえ神は守られるのだから、雀よりはるかにまさっている大切なあなたのことを、神は忘れることがあろうか...。

 私たちの人生の歩み、日々の歩みが、カヌーを漕ぐ様にしっかり前を向き、神の見守りの中でひたすら前に向かう歩みであれば嬉しいですね。今日の私たちの歩みがその様な歩みであります様に。歩みの上に神様の豊かな祝福があります様に。

ひたすら前に

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 人間は絶えず前へ、前へと進もうとする生き物であるようだ。ただその進み方はさりげない。偉大な業績を残す人もいないわけではないが、ほとんどの人は、大げさに進歩だの成功だのと騒いだりせず、その人らしく前へ進む人生を送っているのである。

 日々の中で、新しい何かに気づき、知ることで、自分が豊かになる。また昨日出来なかったことが今日出来るようになれば、それだけで嬉しい。そんな風に生きている人は幸福だと思う。

 だいぶ以前のことになるが、或る日、職場の同僚が「牛乳パックを片手で開けられるようになった!」と、出勤して来るなり自慢してきて、周囲の人たちが皆、思わず笑ってしまったことがあった。

 同僚は勤めながら、家庭では幼い子どもの世話と家事をこなしていたから、さぞ大変だったことだろう。愚痴をこぼしても無理はないと思われるのに、彼女は楽しそうにしていた。毎日は大変でも、苦労ではない、むしろ幸福がぎっしり詰まっていて味わうのに忙しいのだ、と言っているかのようだった。

 「牛乳パックの片手開け」も忙しいお母さんの愛情が生み出した技なのである。牛乳パックを両手で開く余裕もない忙しさでさえ、前向きな彼女は喜びに変えてしまう。不思議なことに、彼女が日々に喜びを見つければ、それは周りの人々に伝わったのである。自分の人生にも喜びがある、と気づかされるのか、彼女の周りでは、皆暖かい表情をしていたように思う。

 その後、私は勤めを辞めてしまい、職場自体も閉じられて無くなってしまった。だが今でも、あの朝の彼女とその幸福を思い出すことがある。


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