時のしるし

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 以前、親しい人から、公の面前で罵倒された事があります。その時、頭に血が上り、心が怒りで一杯になり、夜も余り眠れませんでした。ところが次の日、祈りの集いで祈っていると、その出来事が自分の心の中を占めていた神様以外のものを一掃する、イエス様の働きである事が分かってきました。その時イエス様が、聖霊の神殿である私の心を清め、富に対する執着や動物的なものを追い出して下さったのだと感じ、イエス様に感謝を捧げました。

 ところで、世の終わりにイエス様が再びお出でになる際、どのようなしるしが現れるかに関して、弟子達が密かに尋ねた時、イエス様は、戦争や天災の勃発、偽メシアの出現、親族間での裏切り、迫害などを予告されました。私達は、今既に、大なり小なりこれらの出来事を経験しています。これらの出来事は、どれを取っても私達にとって非常に苦しい体験です。このような体験による心の傷は、私達の生きる力さえ奪ってしまう事もあります。

 それでは私達は、このような出来事をどのように受け止めれば良いのでしょうか。イエス様は言われます。「これらの出来事が起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」。(マルコ13・29)

 今思えば、最初に述べたあの苦しみの時、イエス様が私の心の戸口に近づいておられたのだと思います。確かに、人生における苦しみは嫌なものであり、出来る限り避けたいものです。けれども、苦しみの時、イエス様が私達に近づき、私達を助けようとされているのも確かな事です。

 イエス様が近づいておられる時のしるしを見逃さず、お出で下さるイエス様を歓迎できたらと思います。

時のしるし

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 教皇フランシスコはロザリオの祈りの終わりに、2つの祈りを唱えるように勧めている。「聖母マリアへの祈り」と「大天使聖ミカエルへの祈り」である。以来、私はこの地球上で起こっていることに対して以前にも増して危機感を抱くようになった。教皇の願いは「悪がはびこらないように、ためらいなく闘う決意を固める」というものだ。

 ここ数年、マスメディアが報じるニュースを見たり読んだりしていると、どうでもいいことが、繰り返し取り上げられているとしか思えない時がある。まるで真実を覆い隠すかのように。

 聖書の口語訳で知られるバルバロ神父が編集長をしていた月刊誌を読んで、驚いたことがある。それは1956年10月23日に起こったハンガリー動乱の記事を、11月初旬に刊行される12月号の月刊誌ですぐに取り上げて、1月号では8ページを割いている。ハンガリーからの情報を集め、日本の新聞も読み、的確な分析をしていた。神の不在を説く圧制者に対して、ハンガリーの市民の心のともしびは消えないことを示し、闇はキリストの光に勝てないことをペンで書き切っていた。

 バルバロ神父の晩年、修道院にある書斎を取材のために訪れたことがある。老いが迫り、思うように仕事ができずに、牢獄に閉じ込められているかのようだった。ゆめまぼろしのごとく過ぎ去る月日を想い、世におもねるような書籍を見ては憂いていた。

 人びとを、真実から目をそらせるように仕向ける悪の力に翻弄されることのない魂だけが「時のしるし」を見分けることができる。未来に生きる人びとには、少しでもよい世界に住んでもらいたいと、ロザリオを唱えながら、皆で連帯してできることを模索している。


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