心を開く

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 まだ若いときのこと、ある大先輩と話していました。その人はクリスチャンではありませんでしたが、なぜか、その時、賛美歌の話になりました。その人にはとても好きな賛美歌があるというのです。いまでは、カトリックの聖歌集にも出ていて、よくお葬式で歌われ、私も大好きな、「慈しみ深き」という歌でした。私はその歌を学校で別な歌詞で習ったことがありました。

 その人は、その賛美歌の歌詞がどんなに素晴らしいかを話してくれました。3番まであるその歌詞はどれもいいけれど、その人が特に好きなのは3番の最後のところだというのです。それは「世の友われらを捨て去るときも、祈りに答えていたわり給わん」というのです。若かった私は、目の前の穏やかな表情のその人が、実はどんなに大変な人生を送ってきたのだろうかと思い、言葉を失いました。

 そして、その人に言われるまで気がつきませんでしたが、その賛美歌はそこだけでなく、前の方も素晴らしいものでした。1番は「慈しみ深き友なるイエスは、罪咎憂いをとり去りたもう。心の嘆きを包まず述べて、などかはおろさぬ、負える重荷を」そして2番は途中から、「われらの弱きを知りて哀れむ。悩みかなしみに沈めるときも、祈りにこたえてなぐさめたまわん」というのです。

 これこそ、心を開く、ということではないでしょうか。考えてみれば、神に向かって心を開くということこそが祈りなのだと思います。聖パウロがどのような悩みでも、包まず神に打ち明けなさい、と言っていたと思います。まず、全てはそこから、祈りはそこからなのだと改めて思っています。私は、初めて、聖書のこの箇所に気がついたとき、「なんでもか」と驚き、感動しました。

心を開く

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 この話を聞いて30年余りも経つのに、何かあると思い出す話である。

 今回「心を開く」というテーマを与えられて、はてと思った時、この話が鮮やかによみがえった。

 そこは日本のとある小さな町。

 そこでシスター方が小さな保育園を経営しながら、恵まれない子ども数名を引き取って面倒をみていた。学齢前の子どもである。

 親が多額の借金をし、全国を逃げ回らなければならない子どもがいた。

 まず困ったのが、普通の生活習慣が全く出来ていないことであった。

 夜、眠る時、どんなにいってもパジャマを着ることを拒否する。その上、靴を履いたままふとんの中へ入るのである。

 いつどんな時でも素早く逃げられるように身構える日常を過ごしてきた子どもにすれば、パジャマに着替えたり、素足で眠ることなどもってのほかなのであった。

 最初は風呂に入ることも拒否したが、夏など自分も汗で気持ち悪いのかやっと入浴した。

 しかし、パジャマは無理。昼間着ていた洋服しか着ない。靴は脱いで寝たはずなのに、いつ履いたのか、朝になるとふとんの中。

 もう誰も追いかけて来ないから安心して眠るようにと、神さまが守ってくださるからと、こんこんと毎日いいきかせ、数ヶ月してやっと、パジャマを着、素足で眠るようになった。

 その間、子どもは固い表情で、世話をしてくれているシスターにさえ、心を開かなかった。疑い深い射るような目付きであった。

 しかし、ある時、一緒に風呂に入っていた時、はっきりとにこっと笑いかけた。

 辛かった日々から解放された瞬間である。

 シスター方の喜びはいかに大きかったか。

 その話を私にする時、シスターの目には光るものがあった。私ももらい泣きした。


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