実際、母は和裁をして家計を助け、毎日、泊まり客もあるので、1日24時間をいかに有効に使うか、心をくだいて暮らしていた。
それで夜なべをして、明日の分を先取りするのを日課としていた。
しかし、晩年の母は、「イエズスさまはやっぱりさ、良かことば言うてくれとる。こげんして、今じゃ他人の世話はできん、逆に他人に世話してもろうてる身になってからさ、今日1日の苦労は今日1日で足れり、明日のことは思いわずらうなっちいうことばが深く身にしみるとよ。こげんなわたしばやさしくかぼうてくれちょるごとあって・・・」と言って涙ぐんでいた。
聖書の言葉は、その人の年齢や環境によって感じることは異なることもあるだろう。
私も夜、洗濯できない体調の悪い日は「今日の苦労は今日1日でいい、明日のことは明日考えよう」と神さまに祈りつつ眠ることにしている。