今からもう25年近く前のことです。私が旧知の人と再婚したすぐ後のことでした。成人していた長男は、生まれた時から難病があると言われていましたが、それほど目立ったこともなく過ごしておりました。
ところがある日、スポーツの時の事故で、脊髄損傷になり、胸から下が一切動かないようになってしまいました。
私は、嘆き、自分が再婚などしたからだろうかと自分を責め、たまらなくなり、夫の本を出版した時にお目にかかったトラピストの院長様にメールを出したのです。するとすぐにお返事をくださり、「どんなに辛くても絶対に絶望などすることがないように。それに見合ったお恵みは必ずいただけるのですから、」と言ってくださいました。なんという厳しい励ましの言葉だったでしょう。
それから長いリハビリの時間があって、やっと車椅子に乗れるようになり、本当に少しずつ母子共に新しい生活に慣れていきました。
それでも、私がやっていた出版の仕事を続けることは難しくなり、しかも教会の隣のマンションに住んでいたのに、そこも銀行への返済のために手放さなければならなくなりました。
そして、父が生きている時に故郷の岩手に作った家に住まわせてもらうことになりました。
その家は脳梗塞の父のためにバリアフリーでした。そして、偶然お世話になった病院の理事長は父の従弟でした。そのように、数え上げたらきりがないほどいろんなお恵みがたくさんありました。
息子は何度も入退院を繰り返していましたが、自分の身を嘆くこともなく、2年前、突然なんの前触れもなく、自宅で、静かに息を引き取りました。
私にとっては、彼の母親であったことが自分の人生にとって何よりのお恵みだったと心から言える幸せを、思っております。