さて話は変わりますが、長い心理療法の仕事を通して、どんな悲劇的な人生でも、その悲劇と事件に遭遇したある男女がそれぞれに逞しく立ちあがり、そして明るく元気に爽やかに生きだした事例を想い出してみますと、共通したところが一つだけありました。
それは、老境での不安感であろうが、どんな年代の苦悩であろうが、それぞれが、それぞれの苦労の意味を見出した人たちでした。
或人は魂の存在に気付きます。つまり魂とは何か、を思索しだした人です。
私の場合は、昔、恩師が教えて下さった魂論が今の私を元気づけています。「魂は老いることもなく病むこともない、永遠不変なもの、魂は愛そのもの、臨終と共に身体から離脱する知的生命体である」という教えです。自分の中に愛である魂が存在している事を信じると、その答えや意味が見えてくるようです。どんな人生問題に遭遇しても、静かに自分の魂に語りかける習慣をつけると、魂はその場、その場で、素晴らしい答えと意味を悟らせると云う思想です。
意味がわかると人はどんな苦難にも立ち向かうようです。
あなたの人生は、もう後半、そろそろ最後の旅路の準備をしておいたほうがいいですよ、と体が教えてくれている、私はそう考えています。
最後の旅路とは、天国に召されるということです。
人間は体と霊魂からできて、体は物質ですからいずれ滅びるのですが、霊魂はいつまでも残ります。体の死を迎えたとき、霊魂がどういう状態かで、その後の行く先が決まります。たとえ体はボロボロでも、霊魂を磨いていれば天国に行けるのです。
では、霊魂を磨くには、どうすればいいのでしょうか。
まずは、謙虚であること。体が老いると、自分であれこれするのが難しくなり、人に助けてもらわなくてはなりません。ですから、より謙虚になれる可能性が増します。
そして、感謝を忘れないこと。これも体が老いてくると、人様にお世話になることが多いので、感謝できるチャンスが増えます。
さらに、愛徳を実践すること。体が思うように動かなくてもできることがあります。たとえば笑顔で愛のある言葉を話すこと。それだけで、まわりの人は、愛を感じるものです。それに、病に伏した人でも、何もできないということはなく、お祈りで人を助けることができます。
こんなふうに、老いのおかげもあって、謙虚で感謝の気持ちをもち、愛徳や祈りを実践できます。自分をいっそうきれいに磨くことができるのです。