老いるにも意味が・・・

片柳 弘史 神父

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神父の主な仕事の1つは、ミサの中で説教することだ。聖書と首っ引きで原稿を準備し、少しでもいい説教をしようと頑張っているが、どんなに準備しても年配の神父さんにはかなわないと思うことがある。たとえば、先日こんなことがあった。

その日のミサでは、「貧しい人々は、幸いである」というイエスの言葉が朗読された。(ルカ6・20)説教を担当したのは89歳の神父様。聖書を朗読するだけでも息絶え絶えの神父様がとつとつと語ったのは、「これは、なかなか難しい箇所だな。でも、貧しいからこそ幸せというのは、確かにあるんじゃないかな」ということだけだった。

たったそれだけの説教だったが、わたしは深く感動した。彼の生活がその聖書の言葉そのものだったからだ。

その老司祭と一緒に暮らすようになってまず驚いたのは、冷暖房を一切使わないということだった。「熱中症が怖いのでせめて冷房を」とお願いしたこともあるが、「なに、だいじょうぶ」と断られてしまった。彼は、服もほとんど持っていない。食事も、いつも残り物を先に食べる。生活費を渡しても、医療費以外ほとんど支出がない。徹底した貧しさと言っていい。

客観的に見ると「何が楽しいのだろう」とも思える生活だが、わたしたちと一緒にいるとき、その老司祭の顔にはいつも穏やかな笑みが浮かんでいる。イエス・キリストの教えの通りに貧しい生活をする彼の心に、神様が目に見えない恵みを豊かに注いでくださっているのだろう。

彼の生活は、それ自体が「貧しい人々は、幸いである」というイエスの教えを証する説教だと言っていい。生涯をかけて準備した説教だから、頭で考えただけの説教とは重みがまったく違う。生き方そのもので聖書の教えを雄弁に語ることができる、そんな司祭にわたしもなりたい。

老いるにも意味が・・・

今井 美沙子

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私の父母は末っ子で、私も末の方に生まれたので、祖父母の味を知らずに成長した。

23歳で結婚し、夫の家族と同居した時、80歳の祖母がいて、亡くなるまでの2年半、一緒に暮らした。

わずか2年半の月日ではあったが、密度の濃いものであったと感謝をこめて思う。

夫の祖母は自立心の強い人であった。

昭和40年代半ば頃の80歳といえば、今と異なり、ずいぶんと老人に見えたが、外見とは違い、ゆっくりではあったが、日常のすべてのことを自分でこなした。

私が一番心に残るのが、脳溢血で突然倒れて亡くなった時、汚れ物を一切残さなかったことである。それこそハンカチ一枚も。

風呂に入りながら、自分の下着や靴下など小物は手洗いし、干してから眠りにつくのが祖母の日課であった。

私も昨年の大腸ガンの手術のあと、夜、必ず、その日の汚れ物は洗い、干してから眠りにつくのが習慣となった。

祖母の亡きあと、私の手本となったのが、夫の父母であった。同居生活は苦しいことも多かったが、しかし、舅、姑が老いていく生の姿をそっくりそのまま見せてくれたことは、何よりの生きた勉強であったと思う。

特に姑は左半身ふずいで入院するまでは、反面教師として見ることが多かったが、入院してのちの5年半、私にとって、老いることの意味を教えてくれた恩人だと思っている。

半身ふずいになった姑は、残された機能に対し、ひとつひとつ感謝した。右手がきくので、右手だけの合掌をした。その姿は一枚の絵のように私の心に残っている。老いて、身体が不自由になっても、神さまに感謝する心だけは失われないと姑は教えてくれた。


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