老いるにも意味が・・・

熊本 洋

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いまや日本は、世界一の長寿国。4人に1人は高齢者という超高齢社会となりました。その中にあって、「年はとりたくないものだ」とか、逆に「もう死にたい」とか、意味深、問題提起の言葉をしばしば耳にしますが、そんなことには、馬耳東風、人生サイクルは、刻々と時を刻んでいます。

人生を季節にたとえれば、春の幼少期、夏の青年期、秋の成人期、そして60代半ばからの冬の老年期。寒い老年期、老化現象で、すべてがネガティブになりがち。しかし、この時期は、貴重な人生の完成期、容易なことではありませんが、神から授かった、わがいのちを、なお一層、大切に、喜びと感謝の念を貫き、それぞれの人生の貴重な経験と、天から授かった知恵を後世に残せるような余生を実現したいものであります。余生の暮らし方は、それこそ、人それぞれでしょうが、アメリカの心理学者のロバート・S・レイチャード博士は、引退後の老人パーソナリティを次の5つのタイプに分類しています。

1つ目は、円熟型で、自分と自分の過去を受入れ、未来志向で、日常生活が建設的。2つ目は、引退満足型、元々受け身的な人で、仕事に対する野心は、もうなく、引退していることに満足している人。3つ目は、防衛型で、老化を認めず、若いときの活動水準を維持し、衰えを見せないタイプ。4つ目は憤慨型、人生の目標を達成できなかったことを悔い、その原因を他人のせいにして、他人を批判する。5つ目は自己嫌悪型、自分の過去を失望と失敗としてしか見ることができない、ふさぎ込みタイプ。1から5まで、落第点もありますが、優等の円熟型か、せめて、2つ目の引退満足型で人生の総仕上げをしたいものであります。

老いるにも意味が・・・

越前 喜六 神父

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わたしも後期高齢者になりました。若い時は、身体があまり丈夫でなかったけれど、定年の70歳まで一応元気で仕事ができたことは、大きな喜びでした。その後は、すべての職務から解放されて、まったく自由な身になりましたので、初めは不安でしたが、今は、個室でひとり静寂の中で、祈り、読書、パソコンでの著述、エフエムの音楽と、実に優雅で充実した時間を過ごせるのを感謝しています。静かで何もなく、ただ深く呼吸することができるのは、現世における至福のひと時ではないかと思います。そして、いつ神さまからの呼びかけがあっても、素直にそれに応えてゆくことができるような気がします。

老いるというのは、加齢にともない、心身が衰弱することを指していますが、わたしは、人間学の立場から、人間は魂と心と身体から成り立っている存在だと教えてきました。

その中で、加齢とともに衰えるのは、身体だけではないかと思います。けれども、この世では、身体と心が一つになっているので、身体の活発な動きができなくなると、自然に心も不活発になります。そのため、物忘れが進んだり、足腰が弱くなったりします。

しかし、この際、はっきり申し上げますが、わたしたちの魂は不滅の命を生きているので、衰弱や老化などはありません。そこで要は、魂の道具である精神や身体の機能を、いかに有効に鍛錬し、活用していくかどうかだと思います。

わたしの場合は、足腰の鍛錬のために室内で腰痛体操をし、祈りの一部として腹式呼吸をしながら座禅をし、午後は30分位散歩することを習慣にしています。そうすれば週3回ある講座を続けることが出来ます。

これも老いのお陰と感謝しています。


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