一方、カウンター席には若者がひとり座ってラーメンを注文していた。よく来る顔なじみの客なのだろう。マスターが「おまえ、貯金もっているか」と尋ねると、「もっていたけど使った」と言う。「いくら貯めたんだ?」というと「5百万」と答えた。マスターはあきれて「5百万も何に使った?車か?」と聞いていた。若者は、「ばあちゃんが病気になって使った」とぽつんと答えた。
彼は人間の命の尊さを知っていた。
私はもう少しで泣いてしまうところだった。私は自分の人生を振り返り、ここ10数年は、「与えるばかり」だったと嘆いていた。自分の老後を視野に入れず無謀なことをしたと後悔もした。
この若者が貯めた5百万は容易なことではなかったはずだ。けれども、「ばあちゃんが病気になって使った」の一言で私の気持ちは報われたように思った。
老人になると今まで気づかなかったことを悟るということもあるだろうが、ひとり暮らしで独身の私が老いて病気になり、人の顔の判別もつかなくなってしまった時にはどうなるのだろうと心配にもなっていた。しかし、この若者と席が近くだった私は、自分が持っているものを与えさせてもらったことに、もう後悔はない。
神様に、このような若者と出会えたことを感謝する。彼は病気の祖母の命に賭けた。祖母の命に全財産を使い果たした若者の与えた真の愛を私は心に刻むつもりだ。
また先頃、百寿の新作個展「郷倉和子 百寿の梅展」が2ヶ月に亘り神戸の香雪美術館で開催されました。関連記事が載っていた新聞で目にした彼女の言葉が、次のようなものでした。"高齢者に残された仕事とは、営みの積み重ねしかなくなる傾向にあるようです。確かに精神面や体力面での衰えはありますが、いろいろ出来なくなった事を嘆くのではなく、今の自分に何が出来るかという、自己の総点検から導き出された本能によって描き出される永遠の今。これが描ききるということなのかもしれません。"
この郷倉和子氏と同じ女流日本画家には長寿を全うされた方が多く、小倉遊亀、片岡珠子両氏が102歳迄現役でいらしたのに続き、今年97歳の堀文子氏は70歳を過ぎてからイタリアにアトリエを構え、77歳でアマゾン川へ、以降、マヤ遺跡、インカ遺跡へスケッチ旅行をし、自由に作風を変化させながら現在も大活躍です。その著書「ひとりで生きる」には「私のモットー『群れない、慣れない、頼らない』」と書かれています。
老いるのは自然の摂理で、生きていれば誰もがたどる道ですが、人間は孤独が当たり前と納得出来るか否かで、人生の幸福度が違ってくるように思います。なぜなら孤独の中でこそ神と向きあえ、老いは恵みと気付かされる瞬間があるからです。
(日本画家 郷倉和子さんは2016年4月12日101歳で逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。)