
小名浜白百合幼稚園
玄関の聖母子像と園舎
ソロモン王は聖書にあらわれるもっとも有名な人物の一人です。紀元前10世紀に生きたその生涯が聖書で語られていますが、聖書の外側ではそれを歴史的に検証できる資料が充分にそろっていません。それでもユダヤ教とキリスト教の伝統においては、この王について語る文学の影響は疑いの余地がありません。この事実だけでも、かれの物語を、関心もって注意深く読むに値するのです。
ソロモンはダビデ王の息子でした。ダビデは羊を牧する少年として、一つの石投げで強靱なゴリアテを倒したのです。(参:サムエル記上17・50)のちにダビデがエルサレムを制圧し、イスラエルの十二部族を統合し、幾世代をも隔ててマタイやルカの福音書にイエスの先祖としてとり挙げられるまでになります。ソロモンはこの王家に生を受け、この有名な王から巨大な権力を受け継ぎます。ただし、聖書はソロモン自身もその四十年にわたる統治のあいだに、輝かしい功績を収めたことを認めています。それは三つの関連しあった功績に区分することができるでしょう。王国の建設者、平和の守り人、そして知恵者としてです。
ソロモン統治の間に、エルサレムとその周囲の諸都市では広域にわたる建設事業がありました。主の家なる神殿と、自らの宮殿なども含まれています。両者ともに巨大にして壮麗なものでした。列王記上の六章にはソロモン神殿について詳しく描かれ、完成に七年を要したとあります。同じ七章の初めには、ソロモン宮殿が完成するまでに十三年かかったと記されています。
こうした建設事業が可能となったのも、当時平和がつづいたおかげでもあります。ソロモンが戴冠すると、現在のレバノンにあたる地域の王ヒラムに伝言を送って杉を用立てるよう頼みます(列王記上5・15)。「ソロモンは・・・全て支配下に置き、国境はどこを見回しても平和であった」からであると説明しています(列王記上5・4)。ソロモンは当時、父ダビデが建てることのできなかった神殿を建設しようとしていたのです。ダビデは軍人でした。ところが、ソロモンは自らの労力を他のことに注ぐことが出来たのです。