2025年02月のコリーンのコーナー

(沖縄・宮古島)
(学)カトリック学園 みつば幼稚園
園舎とテラスの花壇

忙しい日常で神とまみえる ①

 「忙しい日々のなかで神とまみえる」"God on the Go"という表現があります。これについては長年にわたって思いを深めてきました。

 ちょっとした興味から、この表現をグーグルで調べたことがあります。忙しい生活のただ中でも神とのつながりを助けてくれる宗教関連のアプリが次々と出てきました。
 日常で実践できる信心業を携帯電話に送りつけてくる仕掛け、ハラール・レストランの場所を教えてくれるアプリ、いつだってエルサレムを指し示してくれるコンパスなどのようなものです。これらはたしかに興味深いのですが、私の遊び心を少しだけ誘うものといえば、人々の日常の移動手段とその霊性との関係でした。

 この興味が一体どこから来ているのか、はじめにその背景について説明させて下さい。
 1990年代半ばに、3年ほどフィリピンに住んで働いたことがあります。米国の大学院で神学の勉強を終えてすぐのことです。
 幸いにも適切な場と時にめぐり逢えたようで、当時サバティカル休暇をとっていた教員に代わって、カトリック修道者養成の大学で職を得ることができました。大学の管理運営部署の支援で、一般のお家の小さな部屋を借りて住み、晩には近くのメリノール修道女会の家で夕食をとることができるという手はずが整いました。

 そして、マニラに到着する前から、どうやって大学に通うかについても考えていました。米国では自転車で街のなかを移動することに慣れていたので、到着したらできるだけ早く一台手に入れる計画でした。グーグル・マップが登場するずっと前のことです。それでも昔ながらの紙の地図を片手に自転車で回れば簡単だろう、よくわからない公共交通機関に頼って自由に動けなくなるよりは、ストレスも少なかろうと考えていたのです。

 ところが、ニノイ・アキノ国際空港に到着して、そこから車で、住む家に向かうまでの道すがらのことでした。この一回きりの経験が私の計画を覆すのに充分でした。

 マニラの交通渋滞の有様といえば、それこそ今まで経験したことのないようなものでした。そこで、自転車では安全ではないと悟り、自転車を交通手段にする計画をすぐに諦めたのです。
 その代わり、ジープニーという小型バスのような公共の乗り物で通勤するようになりました。

 このジープニーはことさらに居心地のいい交通手段とは言えませんでしたが、安価で利用できましたし、何より、この乗り物での通勤体験は、私にとって素晴らしい経験となったのです。

 ジープニーでの通勤は、五感をフルに呼び覚ましてくれる移動の機会となりました。

 一つひとつのジープニーの外と内とが鮮やかな色どりで飾られています。耳をつんざくような音楽にクラクション、そしてエンジンのけたたましい響き。シャンプーの匂いと排気ガス、ときにそれぞれが強烈で、口の中で味わうことさえできるほどまでに感じられます。速度を上げたジープニーの脇から空気が流れ込むそのほっとする瞬間、汗のしずくが飛んでくるのです。

 このとき体がどう感じ反応したかを忘れることができません。他方で、五感で体験したショックが体から少しずつ消えてゆくようになると、今度はなにか別のことを体験するようになっていったのです。それがはっきりいつだったかを思い出すことはできないのですが。