2025年06月のコリーンのコーナー

神戸海星女子学院マリア幼稚園
子供たちを見守るマリア像

新たな体験の学習、エクスポージャー ②

 二十代の半ば頃、フィリピンで神学教育と養成の大学で数年間教えていたことがあります。学校のミッションは神学を生(なま)の生活体験に根づかせる、特に貧しい人々の体験のうちに意味をもたせ、そしてそこに変革をもたらす教育を施すというものでした。実はここで、はじめて「エクスポージャー」なるものについて学んだのでした。
 1993年にフィリピンに到着するとすぐに、学生たちに混ざってエクスポージャーのプログラムに招かれました。英語でコミュニケーションがとれたのですが、エクスポージャー・プログラムとは一体何なのか見当もつきませんでした。

 英語のエクスポーズという動詞には、、「明らかにする」、「晒される」、「外部に知らせる」といった意味があります。いつも消極的とは言わないまでも、頼りない立場にある心許ない感情を伴う状況に使われるのがふつうです。住む家がない人とか、秘密が暴かれてしまった人とかのように。
 しばらくして、そこで使われていた「エクスポージャー」とは、外に出て行くこと、学外活動のことだと分かりました。とは言っても、本棚にある旅行ガイドにのっているようなピクニックのようなものではありません。

 最初に出かけた私の「活動」といえば、1991年にピナツボ山が6月に噴火し、つづいて11月に近くのクラーク空軍基地から米軍が撤退して、人々が経済的また社会的に苦しんでいた地域で、人々に会って、苦しい生活のお話に耳を傾けることでした。目の前には莫大な農地がいまだに火山灰で覆われた状態で広がっています。それだけでなく、人々の実際の生活も直に目にしたのです。私の生活とはあまりにかけ離れていて、気詰まりな思いがしましたが、その人々はというと、普段と変わりない様子で食事をとりながら笑いあい、また私にも微笑みかけてくれたのです。当時、便利なカメラ機能のついた携帯電話などなかったので写真には残っていませんが、生きた人々の共同体へのエクスポージャーは、私の心に深く刻まれたのでした。

 このリフレクション(ふりかえり)は、私の両親と近所のスーパーにいった話から始めて、ピナツボ山へ私が訪問したときの体験談で締めくくりました。

 この二つの体験は互いにまったく違うものではあるのですが、自分たちとはかなり異なる人々の生活に自らを「晒す」という体験は、私たちがどのようにしてグローバルな見方を創りあげ深めることができるかという、よい具体例となっています。「ハイ・チーズ」といって準備して、とびっきりの笑顔でスナップショットを撮るときもあれば、自らを開いて未知の世界に飛び込んで、何気ない日常の平凡なことに感動したりする時もあるものなのです。