2025年07月のコリーンのコーナー

(学)カリタス聖母学園 大村聖母幼稚園
クライミング遊具で遊ぶ子どもたち
優しく見守るマリア像

カラー・パープル②

 『カラー・パープル』は貧しい黒人女性が自分の声で語った物語として、画期的な文学となりました。セリーが妹のネティーに宛てて書く二番目の手紙で、ターニングポイントを迎えますが、これがまた迫力のある神の物語に仕立て上げているのです。

 手紙には神がどんな姿をしているか、神の愛とはどんなものかについての会話が記されています。セリーは神を白人の老人のように想像します。すると、シャグは言い返します。「神さまって、自分たちや何かから引き離して、それだけで見ることのできるようなもんじゃないのよ」と。つづけてシャグはセリーに、神さまが一番好きなのは「誉め讃えられること」だと説明します。それじゃ神さまは自惚れっていうこと、と訊くと、シャグは説明します。

  

 「いや、(シャグは言いました)。自惚れってことじゃない。ただよいものを分かち合いたいのよ。神さまは怒ると思うのよ。どこか野原を歩いていて、そこに咲くむらさきいろ(カラー・パープル)のそばを通りすぎても、それに気づかなかったりしたときにはね。」①

 これを聞いてセリーは尋ねます。神さまが怒ると、どうされるのかと。シャグは答えます。

 「ああ、神さまは何かほかのものを創るのよ。人は神さまを喜ばせることが、神さまのお望みと考えているのさ。とんでもない、この世のどんな愚か者だってわかるでしょ。神さまはいつも私たちを喜ばせてあげようとしてるってことが。」②

 シャグは伝統的な意味での神学者ではないけれど、この二人の友だちは一緒に神学を実践しているのです。二人は一緒に不思議をぶつけ合っているのです。するとセリーは気づくのです。それまでカラー・パープルがどこに由来しているのか問うたこともないことに。手紙の最後で、セリーは自分がいまだに神さまのことが分からずに「さまよっている」ことを認めています。それでも、はじめて「アーメン」の一文字で、手紙を閉じるのです。

 この本の最後の手紙は、ふたたび神さまに向けて書かれます。最初の一文は神さまの耳に直接に向けられます。「妹のネティーと子どもたちをここに連れてきてくれて、ありがとうございます」、と。そして、セリーが妹と再会する様子が語られます。

 しかしながら、私たちに向けられた希望のメッセージは、驚くことにセリーの夫の口から出ていたのです。夫は人生について自らかかえる疑問について、問いはじめていたのでした。

 「おれたちがここに生きるのは、どうしてだろうと考えるためさ。......でっかいことについて思いあぐねて、でっかいことについて問うたところで、ちっちゃいことを学ぶだけだ。それもたまたまに。でも、でっかいことについて問い考えはじめたときよりも、もっと知るようになるなんてことはない。思いめぐらせば思いめぐらすほど、......もっと愛するようになるのさ。」③

 しかり、しかり。 アーメン。

*引用は以下の版のテキストからのものです。
Alice Walker, The Color Purple (Washington Square Press, 1983) .
①②:P178 ③P247