2025年03月のコリーンのコーナー

(大阪・和泉市)
(学)スピノラ学園 双百合幼稚園
マリアさまにご挨拶 園舎

好機を逃さない ①

 子供たちは現在二人とも二十代で、昨年のクリスマス、二人は米国で私の母と姉、その家族と一緒に過ごしました。その翌日、私はメッセージを送って、お祝いはどうだった?と訊いてみました。
 すると娘から返事がありました。「ハーイ、よかったよ。お母さんの高校の卒業アルバムをみつけたよ。ハハー。カワイイ。」と。
 そして娘はアルバムのその写真を携帯で撮ってすぐに送ってきました。

 アルバムにはよくあるように、写真、好きな引用句、その他小さな情報が載っています。友達同士でよく交わした言葉、仲間うちでのジョーク、友人の名前、クラブ活動のことなどです。「ハハー、めちゃカワイイ。」
 子どもたちは私の十代の頃の生活を丹念に読み漁りながら、一体どんなことを言い合ったんだろうか。そう思ったのですが、あえてなにも聞かないでおきました。

 この子供たちとの短いやりとりから、私は高校の卒業アルバムに思いを致すようになり、すぐに親しい友人の「引用の言葉」を思い出しました。

 「船は港に停泊していれば安全である。でも船はそのためにあるのではない」、というフレーズです。

 今となってこの言葉は、当時と比べてどれだけ異なる響きをもっていることでしょう!

 18歳の頃の私たちは、自分を船に譬えたものです。この冒険に開かれた心意気のおかげで、日本への渡航、新しい経験がたくさん待っている人生への船出にも、帆をいっぱいに張って旅立つことができたのです。

 でも、今では空っぽで不安になった「港」のように感じているのです。
 私のかわいい二艘の船は、両方とも「港」から自らの旅へと乗り出していってしまったのですから!ハハー。

 この悟りを噛みしめていると、今度は「船は港にいれば安全」というこの格言は一体どこから来ているのだろうと気になり、インターネットに向かいました。このリサーチではさほど成果をあげられませんでした。おそらく最初に活字になったのは1928年で、ジョン・A・シェッドという米国の研究者の名言集にあるようです。もともとこれがはじめて用いられた文脈を探していたのですが、生憎それは見つかりませんでした。

 それでも、私のリサーチがまったく無駄だったというわけではなさそうです。この同じ本からまた新たなフレーズに出会ったからです。

 「これから起こりうるチャンスには、ほとんどラベルづけができない」、という言葉でした。